店主のひとり言

店主(トシ丸)の身の回りの出来事や、日々のつぶやき・愚痴の数々です。暇な時にでもお読み下さいませ。

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 でっせ。(平成18年9月26日更新)

    2,010年
蔵人のホームページ

   早くも元の黙阿弥・・・5月16日

歌舞伎町では、数年前から西武新宿駅周辺の路上で、深夜になると客の腕を取るなど強引な客引き行為を繰り返す中国人マッサージの客引き女性の行為が、周辺の飲食店や通行人の間で問題なっていたが、先日新宿署が遂に重い腰を上げた。

時事ドットコムの記事によると、

「東京・歌舞伎町の路上で通行人の腕をつかむなど執ように客引きをしたとして、警視庁新宿署は11日、都迷惑防止条例違反容疑で、中国籍で横浜市鶴見区生麦、マッサージ店「ヒーリングパーク」従業員の魏爽容疑者(31)ら2人を逮捕した。
同署によると、魏容疑者は容疑を認め、「違法とは知っていたが、しないと客が入らなかった」と供述。もう1人は否認している。
付近では客引き行為への苦情が絶えなかったが、確認できないため、同署は同店前のビルの部屋を借り、複数のビデオカメラとスチールカメラを設置。映像などから同容疑者らを特定したという。
逮捕容疑は先月25日夜から26日朝にかけ、新宿区歌舞伎町の同店前の路上で客引きをする際、男性の腕をつかむなどした疑い。」

ということであった。

記事を読んだ時のワシの感想は、

「西武新宿駅周辺の路上で客引きをする中国人女性達は、ワシが知る限りでも20人近くいたのに、ビルの部屋を借り、ビデオカメラやスチールカメラまで設置して、逮捕者がたった2人か。

今回は最初なのでこの程度で仕方がないのかも知れないが、こういう取り締まりは定期的に実施しないと、すぐに元の木阿弥になることが多いので、今後も新宿署には頑張って貰いたいものである。」

というものであった。

ところが、当日はもちろんその後の2・3日間はさすがに姿を消していた彼女達だが、早くも先週末の金曜日の夜には、再び彼女達が強引に客引きする姿が「蔵人」の周辺の路上でも復活していた。(翌日の土曜日の深夜も同様である。)

通常日本人の場合は、この種の手入れがあった際には、手入れをされた側も警察のメンツをおもんばかって、しばらくは大人しくしているものであるが(もちろん、彼女達も生活がかかっているのであろうが)、今回のこの素早い復活振りには、

「日本の警察も舐められたものだな!」

という思いを禁じ得ないのである。

新宿署には、何とかもう一頑張りして欲しいものである。

   ヤマダ電気がオープン・・・4月18日

15日の深夜(正確には16日の午前3時前)に、いつものように店を出てタクシーを拾うために「靖国通り」を渡ろうとした時に、雨の降る寒いよるにもかかわらず、「靖国通り」の向かい側に大勢の人々が長い列をなしているのが目に入った。

列は「靖国通り」のJRの大ガード近くに新しく出来たビル(ユニカビル)のところから始まっていたのだが、その列は翌16日にこのビルにオープンする予定のヤマダ電機の「LABI(ラビ) 新宿東口館」の開店記念特別セール目当てのお客さん達の列であった。

オープン当日の模様を報じた新聞記事によると、

「開店時間の午前10時には約1万人もの人が列をなしていた。」

ということであるが、その中には最初からセールで安く買った商品をネットオークションなどで高く売る転売目的で商品を買うために並んでいたお客も多かったようである。

「LABI(ラビ) 新宿東口館」はヤマダ電機の都市型ストアブランド「LABI」の17店舗目となる家電量販店で、営業時間は午前10時から午後10時までである。

ユニカビルの地下2階から地上7階までを占めるこの店(売り場面積は約7,880平方メートル)は、ヤマダ電機の店舗では、池袋の日本総本店、高崎、なんば、品川大井町に次ぐ広さとなり、初年度の売上としては500億円を想定しているそうである。(一説によると家賃は月に3億円とか・・・)

翌16日の夕方に店に出る前にワシは、オープン初日の「LABI(ラビ) 新宿東口館」館を訪れてみたのだが、店内は立錐の余地もないほど混み合っており、レジやエスカレーターの前には長蛇の列が出来ていて、とても商品をゆっくりと眺めるような雰囲気ではなかったので、そうそうに店を出てきてしまった。

新宿は家電量販店業界3位のヨドバシカメラの本拠地であり、同4位のビックカメラも3店舗を擁しているが、ヤマダ電機は来年中にも新宿西口にも新店舗をオープンさせる予定だそうで、新宿の家電戦争はますます激化しそうであるが、ビルの上部の壁面にハイビジョンの大型LEDビジョン3面を備えたユニカビルが、新宿東口の新しいランドマークとなることは確実である。

但し、今回のヤマダ電機の「LABI(ラビ) 新宿東口館」のオープンが、同店とは「靖国通り」を挟んで反対側に位置する歌舞伎町への流入人口増加につながるかかと言えば、大いに疑問である。

買物を終えたお客の多くは(特に昼間は)、「靖国通り」を渡らずに駅周辺や西口や3丁目方面に向うのではないかと思われる。

なぜならば、残念ながら現在の歌舞伎町には、買物帰りの家族連れやカップル客が食事を楽しんだりゆっくりとひと休み出来る店が余りにも少ないからである。

   まんざら捨てたものでは・・・4月4日

3月31日(水)の深夜の事である。

この日は年度末ということもあってか、午前零時前に10数人のグループのお客さんが入ってきた。

最初に一人が店に入ってきて、

「10人以上いるのですが、入れますか?」

と確認した後に仲間達を呼びに行ったようで、まるっきり初めての比較的若いグループ客であった。

そのグループが店を出て行ったのは午前1時半過ぎであった。

何人か結構酔っぱらった人もいたようで、店を出る際に、比較的しっかりした人々が彼等の荷物を持ったりしていたようであった。

それからワシは後ろのテーブルの上を片づけたりしていたのだが、ふと気がつくと、ワシの席の傍らに置いていたはずのワシのリックが見当たらないのである。

慌てて店中を探し回ったが、見当たらない。

美和子さんもアルバイトの娘も、カウンターに居合わせたお客さんも、

「多分、先ほどのグループのお客が、自分達の仲間の荷物だと思って持って行ってしまったのだろう。」

と言う意見であったが、ワシも同じ意見であった。

先ほどのグループのお客さんが出て行ってから、既に20分以上経っている。

彼等が店を出てすぐに間違いに気がついたなら、既に店に戻って来ているはずである。

ということは、彼等は間違いに気がつかないまま次の店に入ってしまったか、タクシーで帰路についてしまったのであろう。

リックの中には、財布やデジカメ等の他に、他の人にとっては価値がなくても、ワシにとってはそれなりに大事な書類等も入っていた。

常連のお客さんや顔見知りのお客さんの場合なら、何とか連絡先を調べて次の日にでも連絡を付けることも可能かも知れないが、まるっきりのフリーのお客さんの場合は連絡の取りようもないので(先方も「蔵人」の電話番号すら知らないのである)、仕方なくワシは、無駄を承知で彼等の姿を求めて深夜の歌舞伎町を歩き回った。

その時カウンターにいた2人の常連のお客さん達やアルバイトの娘も、ワシと同じように彼等を探し回ってくれた。

中でも、アルバイトの娘は、

「彼等の雰囲気では、店を出た後カラオケ店あたりに行った可能性が高い。」

と考えて、20〜30分くらい前に10人位の団体客が来なかったかどうか、周辺の何軒かのカラオケ店を回って聞いてくれたりまでしたそうだが、結局彼等の姿を見つけ出すことは出来なかった。

この時点で既にワシは、バッグが戻ってくることは諦めていたが、一応念のために歌舞伎町の交番にも届け出しておいた。(このような場合は「遺失物」扱いになるそうである。)

残っていたお客さんも帰り、店の片付けがほぼ終わった午前3時半過ぎである。

電気を消した階段を降りてくる足音がして、ドアを開けて入ってきたのは、先ほどのグループのお客さんの中のふたりであった。

彼等は、

「どうも済みません。どうやら間違えて他のお客さんのリックを持って行ってしまったようなので、返しに来ました。」

と言ってワシのリックを差し出したのだが、店を出てすぐにならともかく、これだけ時間が経っていたにもかかわらず、間違いに気がついてすぐに初めて来た店にわざわざリックを返しに来てくれた彼等の行為に、ワシは驚くと同時に大いに感激したのである。

一度は諦めたリックが無事に手元に戻ったワシは、

「世の中、まんざら捨てたものではない。」

と思った次第である。

   インターネットカフェの本人確認義務化・・・2月21日

2月17日の東京新聞の夕刊に、

「インターネットカフェの匿名性を悪用したハイテク犯罪が相次ぐ中、警視庁は十七日、利用客の本人確認などを義務付ける全国初の規制条例案を明らかにした。東京都が二十四日開会の都議会定例会に提出する。成立すれば施行は七月一日。」

という記事が掲載されていたが、その条例案では、

「個室にパソコンを備えたネットカフェや漫画喫茶などを対象に、店は運転免許証などの身分証で客の本人確認をすることを義務付け、客は身元を偽ってはならないと。」

規定している。また、

「店には都公安委員会への届け出と、客がどのパソコンを使ったかを三年間記録することも義務付けられ(通信内容は記録しない。)違反者は一年以下の懲役か百万円以下の罰金が科せられる。」

ということであるが、これまで「蔵人」でも終電を逃して朝まで時間を過ごすお客さんに対し、近くのカプセルホテルやインターネットカフェを紹介したりしていたが、この条例が成立すると、身分証明書を持っていないお客さんはインターネットカフェを利用出来ないことになる。

身分証明書といえばまず、写真入りのものでは免許証やパスポートや学生証、社員証などが考えられるが、そもそも東京では仕事で車を運転する人以外は会社に行くのにいちいち免許証を持って行く人は少ないだろうし(パスポートについては毎日携帯している人などほとんどいないだろう。)、社員証などは発行していない中小企業も多い。

それはともかく、カプセルホテルやゲームセンターやカラオケボックスや風俗店や深夜営業の居酒屋等、ネットカフェ以外の場所では本人確認が必要でないのに、何故ネットカフェだけが規制対象になってるのであろうか?

その理由として東京新聞の記事では、

「警視庁によると、都内の対象は約五百店。不正アクセスによるデータ流出や、他人を中傷する書き込みなどで昨年摘発したハイテク犯罪二十六件のうち、八件は本人確認をしていないネットカフェが接続元だった。」

ということを挙げているが(これを多いと見るかどうかの問題もあるが)、この記事では、本人確認を行なっている店が接続元だった犯罪のデータが出ていないので、これをもって即身分証提示の義務化というのはいかがなものであろうか?

今回の動きに先立ち、昨年の11月に朝日新聞が、

「警視庁幹部が、『ネットカフェの匿名性が犯罪に悪用されている。本人確認を徹底する必要がある』と指摘。都内でネットカフェを営業している22業者に対し、客に身分証明書の提示を求めるよう要請している。ネットカフェで起きる犯罪は窃盗や無銭飲食が多いという。」

という記事を載せているが、匿名性が悪用されて窃盗や無銭飲食が多いから本人確認を徹底するというのでは、そのうちに飲食店やコンビニでもいちいち身分確認が必要になる可能性がある。

ネットカフェは今や、本来のインターネットを楽しんだりマンガを読んだりという場所という使い方と共に、繁華街ではカラオケボックスと並び女性客でも低料金で朝まで過ごすことが出来る場所としての機能も果たしているのである。

そして近年では、ネットカフェは「難民」と化した人たちが「ホームレスにならない」ための最後の「セーフティネット」として機能している部分もあるのである。(ネット難民の人達の中には、自らの身分を証明する証明書を持たない人も数多くいるだろう。)

そういった事情を一切無視して、まるでネットカフェだけをねらい撃ちにするような今回の条例案には首をかしげざるをえない。(それに、なぜいちいち公安委員会に届けなくてはならないのかも大いに疑問である。)

要するにワシが恐れているのは、警察は今回のネットカフェの本人確認義務化を突破口に、今後それ以外の場所における本人確認の義務化をも目指しているのではないかと言うことである。

そういう意味で、今回の条例案には警察による規制の強化の第一歩ではないかとの不安をだいているのである。

   パリからのお客・・・2月11日

既に気がついている人もいるかも知れないが、一週間ほど前からトップページの「蔵人」の店内の写真にマウスポインターを置いた時に切り替わる写真を入れ替えた。

今回写真に写っているのはパリからやって来たBenardとRonetという2人組である。(真ん中のMutoは生粋の日本人のアルバイトの娘である。)

入口の脇に英語のメニューを表示しているせいもあってか、「蔵人」には仕事や観光で日本に来た外国人のお客が飛び込みで月に何組か訪れるが、カウンターに座ったお客にはワシも拙い英語で話相手をすることがある。

彼等もそんなお客の中の一組であり、最初は先週の水曜日に初めて店を訪れてくれたのだが、「明日も必ずこの店を訪れる。」と言い残して帰り、翌日も二人で店に現れてくれたのである。(その次の日は彼等の帰国予定の日であった。)

彼等はパリのメトロで働いているとのことで、二人とも日本のマンガやアニメが好きで、伝統的な日本文化よりは都市としてのTOKYOに興味があるらしく、外国人旅行者の定番とも言える浅草はもちろん銀座や築地にも行かずに、5日間の東京滞在の大部分を新宿、渋谷や秋葉原などを歩き回って過ごしていたようなのである。

特にRonetの方は、3歳になる息子に「Kenzo」という日本風の名前を付けるほどの日本好きであり、日本のアニメが好きなKenzo君は片言の日本語を喋るそうである。

帰り際にRonetが言った。

「This is the first time for us to visit Japan,but not the last time.」

「蔵人」を訪れる外国人に新宿の魅力をたずねると、

「デパートや大規模な家電販売店があり買物にも便利で、歌舞伎町という歓楽街もあり、高層ビル街がある一方で、そのすぐすぐ近くに『思い出横町』や『ゴールデン街』のような摩訶不思議な空間が広がっている、その多様性である。」(最近は外国のガイドブックにも紹介されているせいもあり、「思い出横町」や「ゴールデン街」を訪れる観光客も多くなっている。)

という感じの答えが多い。

確かに言われてみれば、新宿は狭いエリアに色々なものが詰め込まれた雑多な街である。

しかし、それがこの街が人を引きつける魅力のひとつでもある。

掲載した写真は、帰国後Ronetがメールと共に送ってくれた夫人の写真で、彼女が手にしているのは、美和子さんがお土産代りに彼にあげたどら焼きであるが、こういう写真を送って貰うのは嬉しいものである。

   「不夜城」歌舞伎町の現状・・・1月24日

馳星周のベストセラー小説「不夜城」(1996年刊)の影響もあってか、歌舞伎町というといまだに24時間「眠らない街」というイメージを持つ人が多いようであるが、ここ数年、とりわけコマ劇場閉館後のこの1年余りの間の歌舞伎町の深夜の閑散とした雰囲気は、最早かつての「不夜城」のイメージからはほど遠いものである。

先日も、ある新聞社の記者の方の依頼を受けて一緒に夜の歌舞伎町を歩き回ってみたのだが、その時の印象も含めて、最近の深夜の歌舞伎町について少し書いてみる事にする。

最近の歌舞伎町では、平日の午後11時を過ぎると人の流れは一斉に駅へと向う一方通行となるのである。

例えば午後11時半くらいに「靖国通り」に立ってみると、横断歩道は新宿駅に向う人達の姿ばかりで、週末を除くとこの時間に駅の方から横断歩道を渡って歌舞伎町に入ってくる人の姿はほとんど見られないのである。(かつてこの時間帯の横断歩道は、駅に向う人と駅から歌舞伎町に向う人との肩と肩がぶつかり合うような状態であった。)

そして終電の時間を過ぎると、「一番街通り」や「セントラルロード」(ドンキホーテのある通り)をはじめとする歌舞伎町の各通りには日本人や黒人の客引き達や、マッサージ店の客引きである中国人の女性の姿ばかりが目立つようになるのである。(中でも、中国人の客引き女性達は、酔っぱらった客の腕を取るなど違法行為である強引な客引き行為を連日繰り返しているが、なぜか警察には彼女達を取り締まろうとする姿勢が見られないのである。)

そして、ワシ達が店を閉めて帰る頃(午前2時過ぎ)には、街は閑散としていて人影もまばらな状態になる。

もちろん、歌舞伎町には朝まで営業している店も多いので、それらの店に入っている人もいるのだろうが、それにしても数年前に比べてもひどい状態である。

中でも、コマ劇場前にある「シネシティ広場」周辺は、この一年間で14軒あった映画館が4軒にまで減った事もあって、寒々とした一種「シャッター通り」のような有様である。(同行したカメラマンの人も、余りの人影の少なさに驚いていた。)

まあ、深夜の歌舞伎町に人がいなくなったからと言って、それでは他の盛り場に深夜に人がいるかと言えば、そうではないのだろう。

なぜなら、最近はかつては歌舞伎町界隈では余り見かけなかった「足立」ナンバーのタクシーの姿が目につくが、彼等が深夜の歌舞伎町まで出向いてくるのは、他の盛り場では最早お客を拾えなくなったからであろう。

要するに、長引く不況によって人々の考え方やライフスタイルが変わり、遅くまで酒を飲む人々が大幅に減ったのであろう。

それからもう一つ歌舞伎町から消えたのが、サラリーマンのグループの姿である。

金曜日を除くと、以前と比べればスーツ姿のグループ客の姿がめっきりと減ってきているのである。

まあ、同僚達と一緒にチェーン店の居酒屋あたりで軽く飲むのに、わざわざ歌舞伎町まで足を向ける必要もないのであろうが、これもサラリーマンの人々の飲酒スタイルの変化の結果であろう。

コマ劇場閉館から1年余り。

ますます流入人口の減少が続く最近の歌舞伎町で目立つのは、通り一杯に広がって歩く中国人の団体観光客の姿ばかりである。

 

    2,009年

   大掃除・・・12月31日

今年は「蔵人」恒例の大掃除を27日の日曜日に行なった。

「蔵人」の大掃除は、毎年アルバイトの娘達や常連客の手を借りて行なうのであるが、今年はワシと美和子さんを含めると総勢12人という大人数が集まってくれた。

毎年のように大掃除に参加してくれ要領が分かっている人が多い上に、この人数である。

昼過ぎから始めた大掃除は夕方には終わり、その後は全員で近くの居酒屋に行き恒例の忘年会とあいなった。

最近は忘年会などでもあまり酒を飲まない若い人が増えているそうであるし、「蔵人」にフリーで来るお客さんの中にも殆どお酒をお代わりせず、空いたグラスを前に延々と話しているようなお客さんも増えてきているが、さすがにこの日集まったメンバーは(余り若くないという事もあるが)、ビールや焼酎などを気持ちの良いほどのスピードで飲み干していく。

特に、この日参加してくれた女性陣の飲みっぷりは見事なものであった。

一次会終了後用がある2人は帰ったが、残った10人で2次会はカラオケ店へ。

ここでも皆、気持ちの良い飲みっぷりとノリの良さを発揮してくれ、大いに盛り上がったのである。

店の方は、大掃除の後も28日・29日と営業して今年の営業は終了した。

今年一年色々な事があったが、大掃除同様バイトの娘達とお客さん達のお陰で、今年も一年間無事に営業を続ける事が出来た事に対し、この場を借りて御礼を申し上げておく次第である。

来年もよろしく!

   「104」を知らない世代・・・・11月23日

先日アルバイトの娘のひとりが「バイトの日に店に現れない。」という事が起こった。

「蔵人」のアルバイトの娘は、これまで多少遅れる事はあってもバイトの日に連絡も無しに来ない事は無かったので(もちろんその娘もそうであるが。)、気になって何度かこちらから彼女の携帯に連絡してみたが、ずっと「圏外か電源が入っていない状態である。」旨のメッセージが流れているだけであった。

開店時間から2時間ほど経ったところで、さすがに

「バイトに入る日にちを勘違いでもしているのだろう。」

と彼女の事は諦めて、他の曜日のアルバイトの娘達に連絡を取ってみたところ、幸いにもそのうちのひとりが駆けつけてくれて、その日のアルバイトはどうにか確保出来たのであるが、肝心の当日アルバイトの娘とは結局その日は連絡がつかなかったのである。

翌日は日曜日であったが、気になって彼女の携帯に電話を入れると、相手は出なかったが呼び出し音は鳴ったので、携帯が通話可能な圏内にある事が分かったので、一応「連絡を欲しい旨」のメールを入れておいた。

その後も彼女からは何の連絡もないので何度か彼女の携帯を呼び出して見たが、結局つながらないままであった。

そして夜になると再び彼女の携帯は圏外になってしまったのである。

その後、月曜日になっても彼女からは一向に連絡が無いままであった。

こうなってくると、さすがにワシも、

「もしかして、彼女は事故にでも遭ったのではないか?」

心配になってきた。

そんな中、月曜日の夕方に彼女からメールが届いた。

そのメールには、

「バイトの日は芝居の稽古が休みだったが、風邪っぽかったのでバイト前に一眠りしておこうと思い風邪薬を飲んで昼寝をしたら、目が覚めたのが翌日の朝だった。何とかマスターにお詫びの電話を入れようとしたが、前日に携帯を稽古場に忘れていたの電話番号が分からなかった。

翌日は日曜日で稽古場には入れないので、ようやく今日になって携帯が手元に戻り連絡を入れた。」

という事であった。

そして彼女によると、携帯が圏外になったり圏内になったりしたのは稽古場が丁度携帯の圏外と圏内の微妙な位置にある事が原因だったのだろうという事であった。

まあ今回の出来事は偶然が重なった結果であるが、最近の携帯は「おサイフ携帯」などますます多機能化してきており、それにつれて携帯内に収められる情報もますます増えてきているが、それだけに携帯をなくしたり壊したりすると大変である。

「携帯を落としたり壊したりしてどこにも連絡が取れないで困った。」

という話はよく耳にする話であるが、ワシなんかは、

「せめてアドレス帳の内容くらいはバックアップを取っておくのが常識であろう。」

と思うのであるが、現実にはそれすら取っていない人が多いようである。

現に、そのアルバイトの娘の場合も携帯を置き忘れていた間はどこにも連絡がつかなかったそうであった。

その件で彼女と話していた時に分かった事であるが、彼女は「104」というNTTの番号案内サービスがある事を知らなかったのである。

というか、

「そんなサービスがあるらしい事は知っていたが、その番号が『104』だとは知らなかったし、今まで番号案内を利用した事もない。」

というのである。

確かに、番号案内では相手の携帯電話の番号を教えてくれるわけではないし、お店や病院や公共施設等の電話番号はインターネットで調べれば簡単に分かる時代である。

しかし、

「20代半ばの人間が「今まで一度も『104』を利用した事がない。」

という事態が生じているとは思ってもみなかったのである。(その後色々な人に聞いてみて、彼女が決して例外ではない事が分かってきたのである。)

「そう言えば、最近自分でも『104』を利用した記憶が殆どないな。」

と思い、気になって調べてみたところ「104」の番号案内は携帯からでも利用可能で、ドコモの場合料金は、

案内料:利用回数・利用時間帯に関係なく100円(税込105円)

である事が分かった。

   絶滅寸前の歌舞伎町の映画館街・・・11月15日

映画館運営の東亜興行が歌舞伎町のシネシティ広場周辺に保有する「新宿オデヲン座」など4館を全て11月末に閉館する事が明かになった。

閉鎖する映画館は「新宿オデヲン座」、「新宿グランドオデヲン座」、「新宿アカデミー劇場」と「新宿オスカー」の4館(このうちの「新宿オスカー」は9月に閉館済み)であるが、このうちオデヲン座は60年近い歴史を持つ映画館である。

旧コマ劇場前の「シネシティ広場」周辺には、昨年末のコマ劇場閉館前には14軒の映画館があったのだが、コマ劇場の閉館と共にまず「新宿コマ東宝」と「新宿プラザ劇場」が閉館し、今年5月末のヒューマックスシネマ3館(新宿ジョイシネマ1・2・3)の閉館や今回の東亜興行系映画館の全館閉館でなどにより、わずか一年間の間に残るはコマ劇場向かいの「ミラノビル」にある東急系の4館(新宿ミラノ1、2、3及びシネマスクエアとうきゅう)のみとなる事になった。

5月31日付けのこのページにも書いたように、これらの映画館の閉館の原因は新宿に「バルト9」や「新宿ピカデリー」などの大型のシネコンがオープンして以来、新宿に映画を見に来る人の多くが歌舞伎町にある古くさい映画館より、それらの新しい映画館で映画を観ることを選んだ結果であるが、残った東急系の映画館も前から閉館を噂されており、そうなると歌舞伎町から映画館が完全に消え去ることになるのである。

また、現在でも深夜になると人影もまばらで客引きやホストの姿ばかりが目立つコマ劇場周辺であるが、シネシティ周辺は今回の東亜興行系映画館の閉館で、一層空洞化が進むものと見られている。

ついでに歌舞伎町関連のニュースをもう一つ書いておくと、

2001年9月1日に歌舞伎町一番街で発生し44名の死者を出した、いわゆる「歌舞伎町ビル火災」の跡地にこのほど射的場がオープンしました。

もっとも、この射的場自体は写真でも分かる通り、敷地の奥の方に建てられた仮設っぽいこじんまりとした平屋建ての建物で、その建物の前にはライトバンの屋台が2台といういかにも、

「敷地を遊ばしておくよりは!」

という風な感じの代物です。

   菅谷さん釈放と裁判員制度・・・6月7日

先日、1990年5月に栃木県足利市で女児が殺害され事件で無期懲役が確定し、千葉刑務所に服役していた菅家利和さん(62)が釈放されたが、これは逮捕のキメ手とされたDNAを再鑑定した結果、女児の肌着に残っていた体液の型と菅谷さんの型が一致せず、

「無罪を言い渡す明らかな証拠の発見があった。」

として刑の執行を停止した結果であるが、事件発生の翌91年12月に菅谷さんが逮捕、勾留されてから既に17年半の歳月が流れてしまっている。

菅谷さんは釈放後の記者会見で、

「間違ったでは済まない。警察や検察は絶対に許しません。ショックで亡くなった父とずっと苦しんできて2年前に亡くなった母のお墓に出向き絶対に謝ってもらいたい。」

と語っていたが、それに対し事件発生時捜査を陣頭指揮した元県警幹部(75)は、

「警察の捜査は適正で妥当だった。釈放されたから、冤罪(えんざい)であるというわけではない、と語気を強め、当時の捜査の正当性を改めて強調した。」

との事であるが、この事件では捜査・取り調べの段階で菅谷さんが犯行を自白したとされているが、まともに考えて見ても、単なる窃盗程度の犯罪ならともかく、正当な捜査や取り調べを受けただけで、やってもいない殺人という重大な犯罪を自白する人間がいるであろうか。

菅谷さん自身は、

「取調官から鑑定結果を突きつけられ、自白した。」

といい、一審公判の途中で「DNA型鑑定で虚偽の自白を迫られた」と否認に転じたが、一審も二審も最高裁も、DNA型鑑定と「自白」の方を信用して有罪とし、無期懲役の判決が確定した。

過去の冤罪事件でも、捜査・取り調べの段階で強制された自白が有罪の根拠になった事件が多い。

先月に一般の国民が裁判員として裁判に参加する制度が施行されたが、「DNA鑑定の一致」と「本人の自白」という両者が揃えば、素人からなる裁判員の中には、

「これは有罪に違いない。」

と思ってしまう人も多いのではないだろうか。(今回の事件ではプロの裁判官でさえ、判断を誤ったのであるから。)

そして、そうした判断の結果、冤罪によって長期間にわたり拘留されたり、場合によっては死刑判決を受ける人間が出てくる可能性がある。

菅谷さんの場合は判決が無期懲役であったために、今回「DNAの不一致」が証明され釈放に至ったわけであるが、’92年に福岡県飯塚市で起きた女児2人殺害事件では、死刑判決の確定した男性が昨年既に刑を執行されているが、その事件では今回の件によって不確実性が証明された当時の「DNA鑑定」が証拠となっている。

「自白」が果たして本人の意思によるものなのか、科学的な鑑定結果や証拠といわれているものが、本当に間違いのないものであるのかどうか、今回の事件は、こうしたプロの裁判官達でさえも判断に苦しむ問題を判断する裁判員の方々の責任の重大性を浮き彫りにした事件であるともいえよう。

   コマ劇場周辺の映画館街・・・5月31日

前回は昨年末に幕を閉じた「コマ劇場」のその後に関して少し書いてみたが、「コマ劇場」前の広場は現在は「シネシティ広場」と呼ばれてるが(嘗て噴水のあった頃は、「歌舞伎町ヤングスポット」という今聞くと恥ずかしいような名前であった。)、その「シネシティ広場」周辺の映画館街にある新宿ジョイシネマ3館(ジョイシネマ1・2・3)が、本日をもって閉館する事になった。

「シネシティ広場」にある新宿ジョイシネマ1・2の2館は、1958年12月にオープンした新宿地球会館内の「新宿地球座」、「新宿座」が前身で、近くのビルにあるジョイシネマ3の前身である「新宿名画座」は1956年にオープンし、60年代から70年代にかけてはピンク映画の常設館として隆盛を誇った劇場である。

昭和35年当時の
新宿ジョイシネマの前身の 「新宿劇場」
現在の新宿ジョイシネマ外観

1984年1月に「新宿座」は現在の新宿ジョイシネマ、「新宿地球座」は1983年に「歌舞伎町松竹」と館名を変更し、 「新宿名画座」はその後「新宿シネパトス」に変わり、1995年に現在の新宿ジョイシネマ3館の体制になったのである。

歌舞伎町では、昨年末の「コマ劇場」の閉鎖に伴い「新宿プラザ」、「新宿コマ東宝」の両映画館が閉館になり、先月の17日には「新宿トーア」が、そして今回ジョイシネマ3館の閉館で昨年末からの半年で14館中6館もの映画館が閉館することになったのである。

他にもまだ閉館を噂されている映画館もあり、歌舞伎町の映画館の地盤沈下は甚だしいものがあるのである。

歌舞伎町の映画館の閉館の背景には、2007年2月にオープンした「新宿バルト9」(9スクリーン)や、2008年7月にオープンした「新宿ピカデリー」(10スクリーン)などの都市型シネコンの誕生で観客を奪われた事もあるが、歌舞伎町がもはや「映画を観に行く街」のイメージではなくなってきている事も影響しているであろう。

今や歌舞伎町は、「コマ劇場」というシンボルを失い、さらに映画館街というイメージすらも失いつつあるのである。

このような歌舞伎町の地盤沈下に歯止めをかけようと、6月16日(火)から8月末まで、「歌舞伎町シアターパーク 2009」という催しが歌舞伎町2丁目にある「区立大久保公園」で開催される予定である。

新宿区のニュースリリース のページによると、

「『歌舞伎町シアターパーク』とは、シネシティ広場(旧コマ劇場前)とともに文化の発信地として注目されている、区立大久保公園(歌舞伎町2-43)のテント劇場のこと。2007年には『デージーが咲く街』、2008年には『ねこになった漱石』『吉本7キャンプシアター』と、歌舞伎町の夏の風物詩として定着しつつあるこの場所に、今年は7つの芸能団体が結集した。音楽劇に大衆演劇、お笑いに狂言まであるという、一大芸能フェスティバルを開催することになった。」

ということであり、期間中には吉本興業のイベントも予定されているが、「歌舞伎町シアターパーク2009」の内容に興味のある方は下記のホームページを御参照下さい。

 http://www.d-kabukicho.com/entertainment/event/2009.html

   その後のコマ劇場・・・5月24日

昨年末で閉館になったコマ劇場は、隣にある「東宝会館」と共に解体されその後に新たな建物が建つ予定であるが、その東宝会館ビルの6階で営業を続けていた「ビリヤード&ダーツ バグース新宿店」が26日の営業を持って閉店することになった。

この店はビルの1フロアーを占める大型の店舗であったが、この店の閉店により、「東宝会館」のビルに残って営業を続けているのは地下にある「ノグチ」という小さな理髪店だけになる。

一方のコマ劇場の建物の方であるが、こちらの方も殆どの店舗が撤退して、現在ではセントラルロードの突き当たりにある「コマのれん街」の入口にある「浜銀」という寿司屋が唯一営業を続けている。

こちらの方は東宝側との話し合いがこじれた末に、現在では訴訟沙汰になっているそうであるが、「ぐるなび」の浜銀のページには、

「コマ劇場は閉館になりましたが、当店は営業しております。」

と背景を知って読めば、些か挑戦的ともとれる文章が書かれている。

ところで、先日歌舞伎町で営業している各店舗に竹中工務店東京本店から「新宿コマ劇場・新宿東宝会館解体工事 工事説明資料」という10ページ余りの資料が配付されたが、それを読んでみても

「予定工期 解体着工後17ヶ月」

とあるだけで、一体いつになったら工事を始めるのかに関しては一切触れられていないのである。

それに現在に至っても、その後のコマ劇場の跡地利用に関しては一切白紙らしい。

これは白紙と言うよりも、東宝側も竹中工務店側も良いアイデアがなくて困っているというのが本当のところのようである。

いつ始まるのか分からない解体工事から解体完了までに1年半、そしてそれから新しい建物の建設には更に数年の歳月が必要であろう。

一体いつになったら歌舞伎町の新しいシンボルは出来上がるのであろうか?

というか、空き店舗が増え平日は深夜になると客引きの姿ばかりが目につく最近の歌舞伎町の様子を見ていると、果たしてそれまで歌舞伎町が生き延びていけるのかさえ少々不安になってくる次第である。

   藤原氏恐るべし・・・5月10日

3月の末から上野にある東京国立博物館で、興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」が開催されてるが、今回の見所は興福寺では通常壁面のガラスケースの中で展示されている阿修羅像が360度から見られる事であり、「蔵人」のお客さんの中でも、何人もの人が見物に出掛けその素晴らしさを伝えてくれているのだが、このところめっきり出不精になったワシは、残念ながら未だに見に行っていないのである。

この阿修羅像は、天平6年(734)に聖武天皇の妻である光明皇后が母橘三千代の1周忌供養の菩提を弔うために造像したとされているが、その光明皇后は民間出身の初の皇后であり、仏教に深く帰依して、貧しい人に施しをするための施設「悲田院」や医療施設である「施薬院」を設置して慈善を行ったとして有名な皇后である。

彼女の父親は持統天皇の元で権力を握っていた藤原不比等であるが、不比等の娘が民間人(皇族以外で)初の皇后になるには様々な問題があったようだが、それはまあ良いとしよう。

問題は、聖武天皇の母親である宮子が、母親こそ違え光明皇后と同じように藤原不比等の娘である事である。

即ち、聖武天皇は不比等からすると娘の宮子の子供という意味では孫であり、光明皇后の夫という意味では娘婿(義理の息子)ということになる。

要するに、不比等は天皇の外戚になるために自分の娘と孫とを結婚させたのである。

いかに異母兄弟(姉妹)の結婚が珍しくなかった当時とはいえ、普通の人間ならここまではやらないのではないだろうか。

聖武天皇と光明皇后の間には男の子が生まれず、娘である阿倍内親王が聖武天皇の後を次ぎ孝謙天皇として即位するのであるが、この孝謙天皇は不比等にとって曾孫であり同時に孫でもある。

男系で言えば孝謙天皇は天皇家の血をひくとはいえ、血の濃さでは圧倒的に藤原氏の血の方が濃いのである。

幸いにもというべきか、孝謙天皇は怪僧道鏡を寵愛したものの、結婚も出来ず子もなかった為に、皇統は天武系から天智系に戻るが、もし聖武天皇と光明皇后との間に男の子が生まていて、その子が天皇に即位し、以後彼の子孫が天皇家を継いで行ったとしたら、天皇家というのは藤原家の血を伝えるための存在のようなものであったであろう。

馬場 朗の「天皇と藤原氏」(三一書房)という本によると、

「藤原氏が初めて聖武天皇の外戚となって以降、昭和天皇に到るまでの80人の天皇のうち、藤原系(藤原氏から枝分かれした家系も含む)の母から生まれた天皇が60人以上を占めている(明治・大正・昭和天皇の母親達も全て藤原系である。)」

と言うことであるが、「藤原氏恐るべし!」である。

   憲法9条はもったいない?・・・5月6日

今年のゴールデンウイークも今日でいよいよ最後である。

8連休・12連休等の長い休みになった人々も多かったようであるが、「蔵人」の方は3日(日)〜6日(水)の4連休であった。

土曜日も営業している関係で、「蔵人」が連休になるのは年間でもあまりなく、まして4連休ともなると正月とゴールデンウイークと夏休みくらいである。

これまでは連休の度に旅行に出掛ける事が多かったが、今回の連休は珍しく旅行にも行かずに、その殆どを家で本を読んだりしながらダラダラと過ごしてしまった。

ところで、5月3日の憲法記念日には護憲派・改憲派がそれぞれに各地で集会や講演等を行なっていたが、このところ一時ほどの声高な改憲論は影を潜めているようである。

その理由のひとつに、憲法9条改正に踏み切らなくても、自衛隊の海外派兵が可能になってきたからだという点があると思える。

例えば、過去の特措法による自衛隊のインド洋、イラクへ派遣に続き、ソマリア沖の海賊対策のために現行法のままでの派遣に踏み切り、先日衆院を通過した海賊対処法案では、停船命令に応じない船舶への船体射撃が可能になるなど任務遂行のための武器使用基準までが盛り込まれた。

今回のソマリア沖への自衛隊派遣に関して、東ティモールやアフガニスタンで紛争処理を指揮した伊勢崎賢治氏(現東京外国語大学教授)は、

「憲法9条は日本人にはもったいない」

とコラムに書いている。(5月2日の朝日新聞でも彼の意見が紹介されていたが。)

http://www.magazine9.jp/other/isezaki/

その理由として氏は、

「海上自衛隊は、真摯な国会審議も経ないまま、ソマリア沖に出て行きました。そしてついに、『海賊対処法』が成立します。海は荒れているのです。 最低限必要であるはずの『事前の国会承認』もなし。武器使用基準を大幅に緩和。さらに、日本関連の艦船でなくとも警備できる、などなど、憲法上の規定を大きく逸脱しているとしか思えない法案です。 」

という理由と同時に、

「国連の平和維持活動(PKO)への参加もイラクへの陸上自衛隊の派遣も、日本政府は『国際貢献』や『イラクの復興支援』を掲げました。良しあしの議論はさておき一応は『世界益』です。しかし今回は首相の国会答弁をはじめ、もろに『国益』が出てきた。こんな状態は戦後初めてです。日本はついに、国益を掲げて自衛隊を海外に出すようになってしまいました。」

という理由を挙げている。

氏の怒りは、メディアや政治家の、

「日本の船を襲う海賊だから取り締まるのは当たり前。我が国の国益のために自衛隊が出ていくのは当然」

といった論調と、そういった流れに流されていくままの、

「9条護憲だけれど、今回のソマリア沖の海自の派遣には賛成」

的な人々にも向けられている。

確かに「国益」を全面に出されては反対しにくい点もあるだろうが、国益のぶつかり合いが国際紛争の原因であり、憲法9条では明確に、

「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

と謳っている。

しかし、先にも書いたように今回の海賊対処法案では、停船命令に応じない船舶への船体射撃が可能になるなど任務遂行のための武器使用基準までが盛り込まれている。

これが武力の行使でないのなら、一体なんであろう。

ここまで憲法9条の理念を踏みにじられ、それに対して反対の声を上げないのなら、確かに憲法9条はそういった日本人にはもったいないのかも知れない。

   あれから1年・・・4月26日

酔っぱらって公園で裸になり公然わいせつ罪で現行犯逮捕されたSMAPの草薙剛に対し、彼を地上デジタル放送の普及促進のメーンキャラクターに起用していた総務相の鳩山邦夫大臣が、

「最低の人間だ。絶対許さない。」

と発言したことから火がついた騒動で、しばらく炎上状態になっていた鳩山邦夫の公式ホームページの活動報告のページを今日チェックしてみると、ようやく見られるようになっていた。

書き込まれている膨大なコメントの殆どが鳩山邦夫の発言に対する非難で、中でも

「公園で裸になるのと、国際会議の席で酔っぱらったまま記者会見した中川昭一元財務大臣の行為とどっちが最低な行為か云々。」

というような内容のコメントが多い。

まあ、確かに明らかに酔っぱらった状態で記者会見の席に出るのは、少なくとも「大臣としては最低の行為」であると思うが、国会議員としては「最低の行為」ではないのだろうか?

何故なら、その件で中川昭一は大臣を辞めたが国会議員を辞職してはいないのだから、多分国会議員としては「最低の行為」には当たらないのであろう。

ところで24日は「蔵人」の長年のお客さんであったT君の一周忌であった。

T君のことは美和子さんも弟のように可愛がっていたが、T君は会社の同僚や後輩達にも大変好かれていた人物で、先週の末には会社の同僚や後輩達が何人も盛岡にある彼の墓参りに出掛けたそうである。

T君が1年前にクモ膜下出血で部屋で倒れているところを発見され、救急車で病院に運ばれ僅か2・3日後には帰らぬ人となってしまったのは、T君が最後に店に顔を出してから僅か10日ほど後の事である。

そして、それから既に1年が経ってしまったのである。

人の命の儚さと、時間の経過の早さを改めて実感しているワシである。

   明日は我が身の冤罪事件・・・4月19日

07年に公開された周防正行監督の「それでもボクはやってない」という痴漢冤罪事件をテーマにした映画があったが、先日、

「電車内で女子高校生に痴漢をしたとして強制わいせつ罪に問われた名倉正博・防衛医大教授(63)=休職中=の上告審判決で、最高裁第三小法廷(田原睦夫裁判長)は14日、懲役1年10カ月の実刑とした一、二審判決を破棄し、無罪を言い渡した。」

という事件があり、各新聞にも大きく取り上げられていた。

この事件は、名倉教授が、

「06年4月18日、通勤途中に小田急線成城学園前−下北沢駅間を走行中の準急内で、女性(当時17歳)の下着の中に左手を入れ下半身を触ったとして起訴された。」

事件で、名倉教授は捜査段階から無罪を主張したが、1、2審は

「スカートのすそに腕が入っており、ひじ、肩、顔と順番に見て、名倉さんに左手で触られていることが分かった」

とする女性の証言の信用性を認め有罪とした。

要するに、この事件には物的証拠や目撃証言などはなく、証拠は女子高校生の「被害を受けた」という供述だけであり、名倉教授は一貫して無罪を主張したが、一審・東京地裁、二審・東京高裁はいずれも女子高校生の供述の信用性を認めて有罪としたのである。

実際にあった事実や判決は別にして、この事件の場合考えられるケースは、

@名倉教授が女子高校生の言うように、実際に彼女に対して痴漢行為を働いた。

A女子高校生は痴漢行為の被害を受けたことは事実であるが、真犯人は名倉教授ではない。

B女子高校生の「被害を受けた」という供述自体が虚偽である。

@の場合は別にしてA・Bの場合、「物証や目撃者がいなく、被害者の供述が唯一の証拠」の場合では、冤罪によって痴漢行為の加害者とされた人間にとって、自らの無罪を証明するのは殆ど不可能なのではないだろうか。

実際に、今回最高裁では5人の裁判官が審理したが結果は3対2の小差だったが、ということは5人のうち2人は女生徒の供述は信用できると判断したのである。

もしそれが3人であれば、名倉教授の有罪が確定していたのである。

確かにワシの周りの女性達に聞いてみても、殆どの女性達が電車の中で痴漢行為の被害に遭ったことがあると言っているので、痴漢行為が横行していることは確かであろうし、その結果不快な思いをしたり、身心的に深いダメージを受ける女性達がいることも事実である。

しかし、そういった事実と「相手の供述」だけで、身に覚えのない犯罪の犯人扱いされて、30日間も拘置され、研究室や自宅に捜索が入った上に、1年以上も刑務所に入れられる事とは別の次元のことであろう。

また、名倉教授は現在「休職中」となっているが、おそらくその理由はこの事件であろうし、彼が事件発生以来のこの3年間の間に失ったものは多いであろう。

名倉教授は記者会見で、

「きちんとした初動捜査なり、証拠の検討がなされたのか。人の一生をどう考えているのか。」

と捜査・司法への怒りの言葉をぶつけていたが、ワシも同感である。

ワシは仕事がらラッシュの時間帯に電車に乗ることは殆どないが、普通のサラリーマン生活を送っている人間にとっては決して他人事ではない事件であろう。

   久し振りのひとり言・・・4月12日

少し体調を壊したりして「ひとり言」の更新をサボっているうちに、いつの間にか1ヶ月以上が経ってしまった。

その間に年度末や桜の季節は終わり、この4月から転勤等で新しい職場に移られた方々も多いことだろう。

3月は別れの季節であり、4月は出逢いの季節である。

ワシ達のような商売をしていると、自分は転勤することはないが、お客さんの方が転勤で東京を離れたりすることがよくある。

サラリーマンの人達がよく、昔の出来事を思い出す時に、

「あれは確か福岡にいた時だから、**年頃の事だ。」

と言う風にその頃働いていた場所で思い出したり、

「あれは上の娘が中学生の頃だったから**年頃のはずだ。」

と言う風に子供の年齢で思い出したりするのを目にすることが多いが、ワシ達の場合は職場も変らなければ子供もいないので、

「あの人がよく店に来ていたのはいつ頃のことだろう?」

と言うことを思い出そうとする場合に、その頃誰がアルバイトで働いていたかがひとつの目安になることがある。

例えば、若い頃に東京にいてその頃「蔵人」の常連客であった人が、出張などで東京に来て「蔵人」に顔を出してくれた際などに、

ワシ・・・「Kさんがよく来て下さっていた頃って、どんな娘がアルバイトしていました?」

K氏・・・「名前は忘れたけれど、確か芝居をやっている髪の長い娘が働いていました。」

ワシ・・・「うーん、歴代の蔵人娘の中で一番多いのが役者なんで、それだけでは・・・。」

K氏・・・「もう一人、ジャズダンスをやっている娘もいましたね。」

ワシ・・・「と言うことは、**ちゃんと**ちゃんの頃だから、199*頃かな。」

と言う風にして、その娘達がバイトしていた時代やその頃にあった出来事を思い出すのである。

今のアルバイト娘の中には蔵人歴10年を越える娘もいるが、そうなると彼女一人では時代を限定するのが難しく、他の娘達との組み合わせから何とか時代を限定するのである。

それにしても、「蔵人」の開店から30数年で、一体何人くらいのアルバイトの娘が働いてくれたのだろう?

ホームページの「ALBUM」のページの蔵人娘グラフィティーに載っているのは全体の2/3くらいだと思うのだが、短期間でやめた娘も結構いたので、今となってはワシにも正確なことは分からないのである。

   高熱と臨時休業・・・3月9日

先週の火曜日の夜、店の途中から寒気がして仕方がなかったのだが、何とか閉店時間まで頑張って家に帰って体温計で熱を測ってみると、何と「39度3分」であった。

何しろ、大人になってからこの何十年かの間、体温計が39度を超えたのを見たことがなかったので、さすがに食欲もなくその日はすぐに布団に横になったが、寒気は一向に収まらないし、

「ひょっとしたらインフルエンザかな? その場合は明日から店はどうしよう?」

と朦朧とした頭で色々考えているうちに朝になってしまった。

心配で眠れなかったのは美和子さんも同様だったようで、朝になると知り合いの医者のところに電話を掛けて、

「とりあえず連れて行くので、インフルエンザかどうか診て欲しい。」

と頼み込み、ワシをタクシーに押し込んで鷺宮にあるその医者の医院に向った。

検査の結果、幸いにもインフルエンザではなかったものの熱はそれほど下がっていなかったので、とりあえず点滴を打って貰った。

それで家に帰って眠れれば良かったのだが、その日の午後は東京医大に診察と検査の予約が入っていたのである。

予約や検査をキャンセルすると、再度予約取るのに時間がかかることもあり、タクシーで家に帰ったワシは点滴に時間がかかったこともあって、寝る時間もなしに今度は東京医大に向ったのである。

美和子さんも、さすがに熱でフラフラしているワシを一人で行かせるわけには行かないらしく、東京医大まで付いて来てくれた。

東京医大での診察と検査等全てが終わったのが、午後4時過ぎである。

さすがにワシは店に出るのは無理であったが、美和子さんは

「何とかマスターの代理を捜して、今日も店を開く。」

と言っていたが、彼女自体も昨夜から一睡もしていなかったので、その時点でワシから見ても疲れ切っているのがありありと分かるほどであった。

それで、何とか彼女を説得してその日(水曜日)は店を臨時休業にすることにした。

彼女が何とかして店を明けようとしたのには理由がある。

それは、一昨年夏のワシの父親の葬式の時を除けば、「蔵人」は開店以来一度も臨時休業をしたことがなかったのである。(もちろん正月休みや夏休みは取るが。)

しかし、ワシ達ももう若くないのである。

ここで美和子さんに無理をさせるよりは、せっかく来て下さったお客さんには迷惑を掛けることになるが、先のことを考えると、店を休む方が賢明な選択だと思ったのである。

翌日の木曜日は、ワシは大事を取ってもう一日店を休んだが、美和子さんの方は代理マスターを頼んで、店を営業した。

先ほど、「父親の葬式以外に臨時休業したことがない。」

と偉そうに言ったが、それは全て美和子さんの健康があっての事である。


ワシ自身はこれまでも入院等で店を休んだことが何度もあるのである。

何はともあれ、水曜日に店に来て下さったお客さんがおられましたら、以上のような理由だったので

「ごめんなさい」

です。

   中川前大臣の番記者問題のその後・・・3月1日

中川前財務・金融相のG7における「もうろう記者会見」に関して、前回有力政治家と番記者との関係に関して、

「特定の政治家と親しくなる事が記者の仕事のひとつと見なされているような部分があり、その結果としてスクープをものにすることがあるが、逆に癒着が見られる場合も多いのである。」

と言うような内容のことを書いて置いたが、会見前夜の飲み会や会見前の昼食時にも中川氏と同席した読売新聞の女性記者のプロフィールまでがネット上に晒されたりしたが、その女性記者のプロフィールがネット上に晒された2009年2月18日中に読売新聞のホームページから削除されてしまったのである。

なぜ削除したかについて読売新聞東京本社広報部では、

「同席したのが女性記者なのかどうかも含めて、取材の内容や過程については、従来よりお答えしていません」

とだけコメントしたそうであるが、この女性記者のプロフィール削除がかえって色々と憶測を生んでいるのである。

まあ、どのような憶測が飛び交っているのかはここでは書かないので、興味のある人はインターネットなどでご自分で調べて下さい。

いずれにしても、政治家と記者とが常習的に飲食、飲酒することを業界的に許してるマスコミの体質が問題なのであり、その結果、脇が甘い政治家には美人の女性記者を貼り付けるような事も行なわれているらしいが、

「中川氏の場合は、昨年9月の財務相就任以降、G7などの海外出張では同行の女性記者を集めて飲食を行うことが恒例化していた。」

そうである。

それにしても、政治家もひどいが日本のマスコミはそれに輪をかけてひどい部分があるのだが、「裸の王様」の悲しさで、未だにそれに気がつかずに相変わらず記者クラブ制や番記者制にしがみついているのが現状である。

今回読売新聞が行なった、一切の説明無しでの女性記者のプロフィール削除などは、他の会社が行なったらマスコミはこぞってその会社の対応を責めるであろう行為である。


この未曾有の経済危機に際して、無能で能天気な政治家と無責任なマスコミしかもてない哀れな国民はどう対処していったらいいのであろうか。

   中川前大臣問題と番記者・・・・2月22日

中川昭一・前財務・金融相のG7における「もうろう記者会見」問題は、今更ながらに日本の政治家の駄目さ加減を世界に向けて白日の下に晒す結果になったが、その問題に関して朝日新聞が20日の朝刊で、

「もうろう記者会見 何があった 中川氏ローマの2日間」

と言う特集記事を掲載していた。

その中で、「飲酒有無の質問はなし」との見出しで、「ローマの会見場の記者の多くは、飲酒を疑ったが、日本の新聞の15日付の朝刊の締切りが迫っており、質問はG7の内容確認に集中。中川氏の飲酒の有無への質問はなかった。」との説明が加えられていたが、記者が飲酒の有無を会見の際に確認しなかったのは、果たして締切り時間の問題だったのだろうか。

何故なら、上の記事に続けて、

「朝日新聞の記者は会見終了直後、事務方に『飲んでいたのか』と取材したところ・・・」

と言う箇所があるからである。

会見直後に事務方に確認するくらいなら、何故記者会見の時に中川氏に直接質問しなかったのであろうか?

この辺りにこそ、日本の新聞社が持っている弱点があるのである。

同じ朝日記事のインターネット版から記事の一部を引用すると、前日の夜は、

「財務省幹部と打ち合わせ後の午後10時40分ごろから、中川氏が記者4人を呼び、宿泊先のホテル内で翌日午前0時半ごろまで懇談。中川氏はジントニック3、4杯を飲んだ。中川氏と麻布中・高校の同級生でもある財務省の玉木林太郎国際局長も加わった。 」

19日の衆院予算委員会で、玉木局長は「私が部屋に入った時、4名の記者が大臣と懇談していた。男性2名、女性2名。記者に所属の公表について確認をお願いしているが、2名は公表を控えてほしい、と。1名からはまだ回答が届いてない。1名は読売新聞の記者」

また翌日は、

「昼食には、玉木局長ら職員3人と政務秘書官、通訳、旧知の知人に加え、前夜に懇談していた読売新聞の女性記者が同席。この場でも酒が出された。」

「読売新聞東京本社広報部は『記者は携帯電話で原稿の問い合わせに応じるなど数回にわたり席をはずし、中川氏が飲んだところは見ていない』と説明している。」

としているが、何故特定の記者だけが深夜まで大臣と酒を飲んだりしているのだろうか。

日本の新聞社の場合、番記者と呼ばれる有力政治家担当の政治部の記者は、特定の政治家と親しくなる事が記者の仕事のひとつと見なされているような部分があり、その結果としてスクープをものにすることがあるが、逆に癒着が見られる場合も多いのである。

上の読売新聞の広報部の説明などは、まさに中川氏をかばっているとしか思えない内容であるし、深夜の大臣との飲酒が取材活動であるというのなら、

「記者に所属の公表について確認をお願いしているが、2名は公表を控えてほしい、と。1名からはまだ回答が届いてない。」

と言うのは一体どういうわけであろうか?

事実を明らかにすることが使命であるジャーナリズムに属している人間が、自らのことに関しては、

「公表を控えて欲しい。」

と言うのは一体どういう神経なのであろうか?

そのような態度自体が、新聞(やテレビ)に対する読者の信頼性を損っていることに気がついていないのであろうか?

以上のような新聞社の体質から、記者達は取材対象の政治家から煙たがられることを恐れ、記者会見等では当たり障りのない内容の質問でお茶を濁すことが多いのである。

まあ読売新聞社の場合、会長である渡辺恒雄自身が、当時大物政治家であった大野伴睦の番記者になる事により、保守政界と強い繋がりを持つようになった事が今日の地位を築くきっかけとなったのであり、本来は権力の監視役としての存在である新聞社の会長でありながら、中曽根康弘をはじめとする有力政治家との親密度を自らアピールしているのだから、今更「何をか言わん。」であるが。

と言うことで、今回の中川氏の事件は同時に、図らずも日本の新聞社の問題点のひとつを浮かび上がらせることにもなったわけである。

   ブログ書込み者摘発事件・・・2月8日

先日の朝日新聞に、

「お笑いタレント、スマイリーキクチ(37)のブログに、本人が過去の殺人事件の犯人であるかのような中傷や脅迫文が数百件書き込まれる事件があり、警視庁中野署は5日までに、17〜45歳の男女計18人を名誉棄損の疑いで書類送検する方針を決めた。また、脅迫容疑で川崎市の会社員の女(29)を書類送検した。」

と言う記事が掲載されていて、続いて、

「ネット上で相次ぐ、こうした「炎上」と呼ばれる集団書き込みに対する一斉摘発は、全国初とみられる。 」

と書かれていたが、

今回の摘発に関して、中野署では同じようなネット上の中傷はたくさんあり、

「こういうことをすれば警察に摘発されるんだ」

と警告する目的もあるとしているが、これまでこのページでも、某有名巨大掲示板の例を上げたりして、掲示板やブログの世界で蔓延している、悪意を持った誹謗中傷や事実無根の無責任な書込みの原因のひとつに、「匿名で書込みが出来るので、誰が書いたか分からないだろうから、好き勝手なことを書いても責任を問われることはないだろう。」

と言う書き込む人間の心理の問題を取り上げたりしていたが、その際、

「こう言った悪意や無責任な書込みが蔓延すると、その取り締まりを口実に、本来自由な発言の場であったはずの掲示板やブログが、権力によって規制される方向につながる可能性がある。」

との危惧を示しておいたが、 そう考えているワシにしても、最近匿名性をカサに着てより過激化する掲示板やブログに対する度の過ぎた悪意の書込みなどを見ていると、今回の摘発は

「悪質で無責任な書込みに対して、警察がようやく動いたか。」

と言う感想を持ったほどである。

今回の事件の場合、名誉毀損は「親告罪」であるので、多分、本人からの被害届を受け取った警察からの要請に対してプロバイダが情報を開示したために書き込んだ人間の特定が出来たのであろうが、スマイリーキクチ氏に対しては某巨大掲示板でも以前から誹謗中傷が繰り返されてきたが、今回もこちらの方は相変わらずおとがめなしである。

それとは別に、インターネットには毎日大量に舞い込む大量のスパムメールや、掲示板やブログに対するスパム的な書込みや「ADULT SITE」系の宣伝の書込みの問題もある。

以前ホームページの掲示板に対する海外からの大量のスパム書込みが流行った際に、ワシの知り合いのホームページでも、その多くが掲示板を廃止したが、その中にあって「蔵人のホームページ」では、何とか掲示板の存続を計ってきたのだが、最近は「ADULT SITE」らしきサイトのアドレスを掲載した匿名の書込みが相次いできている。

今後もこのような書込みが続くようなら、「掲示板」の一時閉鎖も考えているところである。

それにしても、ノーベルが発明したダイナマイトが、工事現場で重宝されたのと同時に、兵器としても使用されたことや、原子力の利用方法などと同様、どのように有用で便利なものであっても、それがもたらす結果は、人間の使い方次第と言うことであろう。

   かんぽの宿売却と朝日新聞・・・2月1日

あっという間に1月が終わり、今日からはもう2月である。

正月からこの1ヶ月の間、経済に関しては暗い話ばかりが取りざたされているが、確かに店でお客さん達の話を聞いていても、景気のいい話は殆ど聞くことがない。

これからも3月末の決算期を前にして、経済に関しては毎日のように暗いニュースが新聞の紙面を飾ることになるのであろう。

ところでその新聞の話であるが、最近日本郵政の保養・宿泊施設「かんぽの宿」がオリックスに一括売却されることについて、鳩山邦夫総務相は「納得がいかない」と待ったをかけている事が話題になっているが、それに対して朝日新聞は1月18日に社説で、

「筋通らぬ総務相の横やり」と題し、

「オリックスは最高額で落札したばかりか雇用を守る姿勢が最も明確で、さしたる根拠も示さずに許認可権を振り回すのでは、不当な政治介入だと批判されても抗弁できまい」

と鳩山総務大臣を厳しく批判していた。

ところが、鳩山大臣の発言をきっかけに、国民の間からも

「2400億円もかけて購入・建設した施設をオリックスに109億円で一括売却するのはおかしいのではないか?」

と言う声が出始めた後の1月31日付の社説では、

「・・・以上の論議は入札が適切に行なわれたことが大前提である。談合のような不正や不適切な事務処理があったなら話は別だ。鳩山氏は昨日の国会答弁でそのような疑義を口にした。それなら問題点を具体的に示して欲しい。担当大臣なのだからただ『疑念あり』では済まない。」

と書きながらも、

「日本郵政にも注文がある。売却が問題視されてからも、入札についての情報をきちんと出さずに疑念を膨らませる結果となった。・・・この機会に、民間企業としての決意を新たにして欲しい。」

とも書いている。

ところが朝日の31日付の社説の前の1月20日に発売された「週間朝日」では既に、

「鳩山総務相もストップをかけた 日本郵政 オリックスとの不透明な関係」

というタイトルで、

「(オリックスへの売却は)鳩山邦夫総務相でなくとも、どこか違和感を覚えてしまう」

とし、その理由として、

「売却価格は109億円なのだが、売却に含まれるのは全国70ヵ所の「かんぽの宿」のほか、首都圏の社宅9施設が含まれていて、この社宅は同誌が資産価値を調べたところ47億円。こんな「オイシイ」物件が含まれていることを日本郵政は公表を避けていたのではないか、としている。」

また、「NTTやJTの民営化時に比べ資産売却の監視の基準が緩く、恣意的要素が入る可能性があったこと、さらに、オリックスと日本郵政はかねてから何らかの繋がりがあると噂されていて、08年9月には日本郵政の沖縄の土地をオリックスが購入している。」

ことも指摘している。

また、31日の朝日新聞の夕刊には、

「旧日本郵政公社が07年に一括売却し、東京の不動産会社が1万円で入手した鳥取県岩美町の旧「かんぽの宿 鳥取岩井」が、直後に6千万円で鳥取市内の医療法人が同町内に設立した社会福祉法人に転売されていたことがわかった。」

との記事が載っており、これだけでも多くの国民が今回の日本郵政のオリックスへの不動産の一括売却に納得出来ないと感じるに十分であろう。

今回の問題は、鳩山大臣自身が問題点を具体的に示すことも大事であるが、それ以上に問題なのは、これまで「かんぽの宿」の売却問題を自らが取材し、読者に情報を提供することもしないでおいて、社説で声高に「正論」と自らが思っておる事を述べるだけの大新聞の姿勢である。

もし、まともに前回の旧日本郵政公社の一括売却した不動産のその後を取材していたら、今になって急に07年に行なわれた転売の事を記事にする必要もなかったであろうし、今回の社説ももう少し違った書き方が出来たはずである。

若者の新聞離れを防ぐために、新聞各社は色々と手を打っているようであるが、あくまでジャーナリズムとしての使命と取材精神を忘れないで欲しいものである。

   石原都知事の歌舞伎町に関する発言・・・1月25日

東京都の公式ホームページのトップページに「知事の部屋」というコーナーがあり、その中の「知事記者会見」という文字をクリックすると石原知事の過去の記者会見の内容を見ることが出来る。

その中の今月16日(金)に行なわれた定例記者会見の部分を読むと、石原都知事と出席した記者の間で歌舞伎町に関するやりとりがあったことが分かる。

少し長くなるが、石原都知事の歌舞伎町に関する見方が良く出ていると思われるので、その部分を東京都のホームページから引用しておくと、

【記者】実はですね、23区の繁華街のことなんですが、やはり繁華街の活性化というのはオリンピックを前に控えまして大事なことではないかと思うんですが、その繁華街の1つに歌舞伎町があるわけなんですね。

で、今、歌舞伎町は、コマ劇場が閉鎖されまして、これから建築計画が5年にわたって作られるということになっているんですが、どうもそこの劇場街を目指している地元の考え方と、東宝が今、新しく建て直すんですが、東宝の考えている中身とがどうもなかなか一致しないわけなんですね。要は、やはり歌舞伎町という1つの特性のある繁華街のまちづくりに、やはり新しく作る建物というのは合致するような内容に、できれば用途規制みたいなものがですね、かけられないものだろうかというふうに考えるんですが、知事の所見をお願いいたします。

【知事】さあ、それはやっぱり私よりも新宿の区長と都市計画、都市整備局に聞いてくださいよ。私はそもそも基本的に言って、あの歌舞伎町、好きじゃないしね。あそこだけの街の態様ってのはね、何かやっぱりちょっと民度が低いような気がしますな。ネオンサインの色を1つ見てもね。日本じゃないような気がする。あれがこの東京にマッチしたものかどうかわからんね。

まあね、劇場がせっかく作り直される。劇場を中心にしてどういう文化性のある街ができるかということは、これからの問題でしょうけどね、私に聞かれてもわからんね、そんなことは。まずやっぱりあそこの住民が真剣になって考えることでね。あそこで幅をきかせている日本と違う国籍を持った連中の何か言い分もいろいろ「ニューズウィーク」(アメリカの週刊誌)なんかに出ているけども、ナンセンスだと思うね、私は。


と言う内容であるが、石原都知事が歌舞伎町が好きであろうがなかろうがそれは彼の勝手であるが、だからといって自らが音頭を取って、設立後僅か数年で1000億もの累積赤字を出すようないい加減な銀行を作ったり、中国人を中心とした外国人に対する差別発言を意図的に繰り返しながら、その一方でオリンピック誘致で更なる税金をばらまいているような人間に、歌舞伎町の民度云々とまで言われる筋合いはないであろう。(それも、雑談の中ではなく、正式の定例記者会見においてである。)

それに、歌舞伎町は今でも日本を代表する繁華街であって、歌舞伎町の街の態様が民度が低いのであれば、それは同時にその民度の低い街にネオンサインに惹かれてやってくる人々の民度も低いと言うことであろう。

言うまでもなく、歌舞伎町に来る人間の中で一番多いのは東京都民である。

そして、その中には先の選挙で石原知事に投票した人間も大勢いるであろう。

と言うことは、彼は自分に投票した人間に向って、

「民度が低い。」

と言っているようなものである。


さすがは民度の高い石原都知事殿である。

   新年の歌舞伎町・・・1月18日

現在、コマ劇場のシネシティ広場側には工事用の白いフェンスが張られ、そのフェンスにはペインティングが施されているが、コマ劇場隣の「東宝会館」の1階にあった「ロッテリア」も閉店し、こちらの方ビルの方も上部の階の一部を除いほとんどのテナントが出て行ってしまったようである。

正月気分も抜け始めた歌舞伎町では、金曜・土曜以外の深夜はコマ劇場周辺も人通りもまばらで、これで今年3月にも予定されているコマ劇場の取り壊し作業が始まった場合、土地の所有者である東宝は、

「工事期間中も周辺は絶対に明るくする。」

と言っているそうだが、幾らフェンスの周辺を明るくしても、よほど高いフェンスで囲わない限り、例えばセントラルロードを歩いて歌舞伎町に入ってきた場合、フェンスの内側に巨大な暗黒の空間が広がり、その向こうに中小のビルがひしめく歌舞伎町2丁目のネオンが目に入ってくるわけで、核となる建物を欠いた周辺の飲食店への影響は多大なものがあると予想される。

コマ劇場前の「シネシティ広場」は実は区の所有地であるが、今月末辺りからそこに年中無休で14時から22時までオープンのオープンカフェ風のクレープ店が開店するそうであるが、それは歌舞伎町に少しでも賑やかさを取り戻したいという区の姿勢の現われであろう。

また、昨今の景気の急激な悪化と共に、歌舞伎町にとって痛手なのは円高による外国人観光客の減少である。

中でもウォンの価値が一年前の半分になってしまった事が響いて、かつては目立っていた韓国人旅行者の姿がめっきり減ってしまったし、財布の紐も固くなってしまった。

相変わらず中国人の観光客のグループは歌舞伎町でもよく見かけるが、基本的に彼等は団体旅行なので、決まった店以外に立寄る事は殆どないようである。

奇しくも今年は、歌舞伎町という街の名前が命名されちょうど60年、いわば還暦の年であるが、歌舞伎町は「経済不況」、「コマ劇場の閉館」、「外国人観光客の減少」といったマイナス要素を抱え、厳しい状況の中で還暦の年を迎えたのである。

しかし、状況が厳しいのは何も歌舞伎町だけではなく、いわば日本中がそうなのである。

「蔵人」のお客さんの中にも、既にかなり厳しい状況に置かれている中小企業の経営者や自営業の人達もいるが、何とか頑張って危機を脱して欲しいと切に願っている次第である。

   映画「禅 ZEN」・・・1月12日

今日の夕方、新宿にある「角川シネマ新宿」に10日に公開されたばかりの映画「禅 ZEN」を観に行ってきた。

この映画の原作は、駒澤大学の総長でもある大谷哲夫氏の「永平の風」という道元の生涯を描いた本で、縁があって「蔵人」のお客さんであるM氏が映画化に取り組み完成させた映画である。

最初M氏から、

「道元の生涯を描いた映画を作ろうと思っている。」

との話を聞いた時ワシは、

「道元というのは、宗教家・思想家としては偉大な人物であるが、高貴な家柄に生まれ若くして中国に渡り、天童山で如浄から正式な印可受けて日本に曹洞宗をもたらした、いわばエリート僧で、民衆の間に入って布教したわけでもなく、同時代の親鸞や日蓮に比べエピソードにも乏しいので映画化は難しいのでは・・・。」

と答えておいたのであるが、その後M氏は原作の映画化に奔走し、色々な困難を乗り越え数年がかりでこのほどようやく公開にこぎ着けたのである。

その間M氏から色々と映画化の進行状態や、その都度その都度のトラブルや問題点を聞いたりしていたが(ここでその詳細を明かす事は出来ないが)、少なくともこの映画はM氏の信念と行動力と意志の強さがなければ決して完成に至らなかったであろう事は確かである。

この映画の主人公である道元を演じるのは、今回が映画主演が初めてというまだ20代の中村勘太郎であるが、この若さで押さえた演技でこれだけ堂々と道元を演じられるのは、さすがは勘三郎の息子である。

公開初日に店に顔を見せてくれたM氏の話では、

「初日は最初の回から満員だった。」

そうであるが、今日は3連休の最後の日であるにもかかわらず、上演開始時間の20分ほど前に劇場に行ったワシがエレベーターを降りると、既にロビーには上演を待つ人々の列が出来ていたし、上映時には劇場内もほぼ満席になり、観客の中には若い人々の姿も多かった。

道元という乱世の鎌倉時代を生きた一宗教家の映画がこれだけの観客を集めるのは、それだけ人々が今の時代に閉塞感を感じ、心の拠り所となるものを求めていると言うことであろうか?

ただし、この映画を観たからと言って、禅についてなにがしかのことが分かるかというと、この映画はそういう宗教的な教育映画ではないし、そもそも道元自身にとって禅というもの自体がそういうものではないのである。(道元の説く禅とは「只管打坐」、即ちただひたすら座ることでる。)

まあ、道元のように欲や煩悩を完全に捨て去るのは凡夫には難しいが、人間の欲望と煩悩にまみれた歌舞伎町という街で日々生活しているワシのような人間にも、何かと考えさせられる事の多い映画であった。

何はともあれ、M氏のこれまでの苦労を多少なりとも知っていて、本日この映画を見たワシとしては、一人でも多くの人がこの映画を観てくれることを願うのみである。

   ワシの年末年始・・・1月4日

年末編

例年なら年末は、12月29日まで店を営業し30日に大掃除をするのであるが、昨年は12月29日が月曜日であったために、28日の日曜日に一足早く大掃除をやった。

例年のごとく、アルバイトの娘達やお客の有志の方々と総勢9人で昼頃から大掃除を始めたが、人数が多かったことと、参加者の多くが何年も「蔵人」の大掃除に参加してくれているために手際よく進められたので、夕方の6時前には無事に大掃除は終了した。

その後は大掃除参加者達で西口の居酒屋での「お疲れさん会」+「忘年会」となった。

翌29日は平常通り店を営業し、30日は17時47分発の新幹線に乗るために17時半前に東京駅に着いた。

ところが、東海道新幹線の方に近づくに連れて異常に人の数が多くなって来たのである。

ワシも年末や夏休みに新幹線を利用するので少々の混雑には慣れているが、この日の様子は単なる混雑というような雰囲気ではなかった。

多くの人々が階段や通路に座り込んだまま、動こうとはしないのである。

慌てて新幹線の掲示板を見ると、

「15時55分頃に小田原駅構内で発生した事故により、現在運転を見合わせている。」

旨の表示があった。

と言うことは、その時点で既に1時間半ほど新幹線が動いていないことになる。

この時期にそれだけの時間新幹線が動いていないとなると、東京駅の東海道新幹線付近が異常に混雑するのは当たり前である。

ワシ達も通路に腰を下ろし、バッグから取り出した本を読み始めた。

しばらくすると、ようやく新幹線の運転が再開されたとのアナウンスがあったが、ワシ達の乗る予定の列車の発車はだいぶ先のようである。

結局ワシ達の乗った列車は、東京駅を約100分遅れで出発した。

列車が走り始めてホッとしたのも束の間、今度は名古屋から実家に向う近鉄の特急の最終の時間が気になりだした。

実家のある近鉄線の大和八木駅には、いつもは名古屋駅から難波行きの特急を使うのだが、その特急の最終は結構早かった記憶があったのである。

携帯で調べてみたところ、名古屋発21時30分が最終であることが分かった。

列車が今後順調に動くかどうかや名古屋駅での乗換時間などを考慮すると、微妙なところである。

もし、最終の難波行きの特急に間に合わない場合は、新幹線で京都まで行って、そこから大和八木に向うことになるが、一応その事も考慮に入れておくことにした。

幸いなことに、列車は21時10分過ぎには名古屋駅に到着。

乗換えやすいように前もって新幹線の中央付近の車両まで移動していたワシ達は、急ぎ足で近鉄線の乗り場に向った。

こうして、午後4時半頃に家を出たワシ達は、7時間ほどかかって午前零時前にようやく実家に辿り着いたのである。

昨日の疲れもあり、翌31日の大晦日は夕方近くまで寝て、ゆっくりと身体を休めて過ごしたのである。


新年編

1日の奈良は曇り空で風も冷たかったが、前の日も一日中家にいたので、ワシと美和子さんは昼食後に散歩がてら実家から徒歩で40〜50分のところにある香具山まで行ってみることにした。

天(あめ)の香具山とも呼ばれ、大和三山のひとつとして知られるこの山は、高さは僅か152mで、歩いて10数分で頂上に立つことが出来るのである。

山頂にある神社にお参りして、来た時とは反対側に下りはじめた。

この山は山頂付近は展望がきかないが、西側の中腹からは金剛〜生駒の山々が望めるのであるが、あいにくこの日は曇天で風も冷たく、おまけに途中で少し雨まで降ってきて、それらの山々を眺めてすがすがしい気持ちになるにはほど遠かったのである。

実家に帰る着くと、妹夫婦が子供達を連れて顔を出していた。

普段は一人暮らしの母親は、大勢人が来て賑やかになると嬉しそうである。

妹達が帰った後は、また母親と3人でのんびりと過ごした。

2日は東京に帰る日であったが、割と早めに目覚めたのと、新幹線が名古屋発9時30分頃であったので、美和子さんと、

「時間があるのでどこかへ出掛けよう。」

と言うことになり、持参した「時代別 奈良を歩く」というガイドブックを見たが、

「大体行ったことがあるところが多く、有名なところは込んでいるだろうから、どうせなら行ったことがないところに行こう。」

と言うことで、かつての大豪族巨勢氏ゆかりの巨勢道に行ってみることにした。

近鉄吉野線に乗り「御所駅」の手前の「葛駅」で下車。

この日も前日同様、曇天で風の冷たい日であった。

寒さに震えながらも、先ずは駅の近くの御霊神社と安楽寺を訪れる。

どちらもワシ達以外に人影はない、小さな神社と寺で時間を潰すようなところもないので、お参りを済ますと駅の方に戻り、曽我川を渡り直して正福寺に向う。

この寺は巨勢寺の礎石が使用されている寺であるが、ここも小さなお寺で、境内でじっとしていても仕方がないので、次の目的地である阿吽(あうん)寺に向う。

途中の道にもほとんど人影はなく、風も強くなってきて、この季節のこんな天気の日にこんな場所に来てしまった事を後悔し始める。(多分、暖かい時に来たら違った印象なのであろうが。)

去年の正月の京都は天気が良くて暖かったが、今年は大違いである。

阿吽寺もこれまで訪れた寺と同様小さな寺で、救いはベンチが置いてあったことぐらいであるが、ベンチに座っていても寒いだけなので早々に立ち去る。

予定では、その後蘇我蝦夷・入鹿の墓とも言われている水泥古墳を訪れて「薬水駅」から電車に乗ることにしていたが、これまでの道中でめげてしまったワシ達は、阿吽寺の近くの「吉野口」の駅から電車に乗って帰ることにした。

このまま帰ったのでは余りにも早すぎるので、ひとつ手前の「八木西口駅」で下車して江戸時代の街並みを残す「今井町」を訪れてみることにした。

今井町は、前に行った時に観光客相手のお店もあったので、時間潰しにはなるだろうと思って行ったのだが、残念なことに正月ということもあって、観光客相手の店はおろか、地元の人相手の店も全部閉まっていて、ゴーストタウンのような町を少し歩いて、すごすごと駅の方に引き返した。

と言うことで、この日は観光としては大外れであったが、まあこんな日もあるであろう。

結局2日の午前零時過ぎに中野の部屋に辿り着いたのだが、ウダウダしているうちにもう4日で、いよいよ明日からは「蔵人」も営業開始である。

昨年秋以来の経済不況に引き続き、コマ劇場も昨年末で閉鎖され今後の計画も未定で、今の歌舞伎町に明るい話題を探すのは難しいが、

「今年も何とぞよろしく!」

である。





    2,008年

   特別会員・・・12月21日

11月9日付けのこのページに、「ブックファーストに行ってきました」というタイトルで、新宿駅西口の「コクーンタワービル」の地下に11月6日にオープンした「ブックファースト新宿店」に、オープン当日に行ってみた時の感想を書いて置いたが、ワシの通勤途上にあるせいもあって、その後も何度かブックファーストには足を運び、何冊か本も買ってみたが、構造的にも内容的にも余り好きになれる本屋ではなさそうである。

例えば、JRの新宿駅方向面から地下を通って来た場合はまだしも、コクーンタワービルの正面玄関から入ると、同じビル内であるにもかかわらず、ブックファーストの正面の場所が分かりづらいのである。

もちろん地下に降りるエレベーターもあるのだが、

「ひとつのコーナーから別のコーナーに移動するのに、いちいち一旦店外に出て、再度別の入口から入り直さなければならい。」

という店の構造のせいもあって、エレベータに乗ると、店の正面入口ではなくコーナーとコーナーの間に出てしまい、自分の現在位置を案内板で確認しなければならない状態に陥ってしまうのである。

それに店員達もまだ店に慣れていないせいか、専門書のコーナーなどを尋ねても、いちいち他の店員に聞いている始末であるし、レジの店員の手際も決していいとは言い難いのである。(まあ、こちらの方はそのうちに改善されるであろうが。)

ところで、今日は正月に備えて髪を切りに行ってきた。

ワシが髪を切りに行くのは、ワシの住んでいるマンションのすぐ近くにある美容院であるが、その美容院はワシと同年配の男性の美容師が、長年チェーン系の美容院で働いた後、数年前に自宅の一階を改装して営業し始めた店である。

そのせいや住宅地の中にある事もあり、地元のお客さんより、以前からの彼の常連のお客さんが多い店のようである。

今日は午後の5時に予約を入れていたのであるが、店に行くと彼が、

「今回は、少し短くしてパーマを当ててみましょうか。」

というので、基本的に髪型はその美容師任せであるワシは、異存無くそうして貰うことにした。

髪を洗って貰った後に、2時間余りかけてカットとパーマにかけて貰ったのだが、それで料金はたったの2千円なのである。

もちろん、特別に安くしてくれているのであるが、美和子さんに勧められてワシが最初に行った時から、カットをした時もストレートパーマを当てた時も、いつも2千円か3千円なのである。

ワシも初期には何度か、せめてもう少し多く受け取ってくれるように頼んでみたのであるが、その都度、

「マスターは、ウチの特別会員なので・・・。」

と言うことで、それ以上の金額は受け取って貰えないのであるが、ワシは特別会員になった覚えもないし、そもそもその「特別会員」が何を意味するのかも知らないのである。

ここでひと言断って置くが、彼は結婚もしていたし(奥さんは何年か前に亡くなっているが)、20歳過ぎの息子さんもいる、新宿2丁目界隈に多い人種とは無縁の普通の男性である。

とは言え、その美容師とは道で顔を合わせる機会も多く、

「安くしてもらって申し訳ないから別の店に行く。」

というわけにも行かないので、特別会員ではない美和子さんが行った時に、多少多めにお金を置いてきて貰っている次第である。

何はともあれ、今年も残すところ後10日であるが、昨今の経済関係の暗いニュースばかりを見聞きしていると、自営業者としては来年に余り期待が持てそうにない今日この頃である。

   インク切れ・・・12月14日

今日は家で来年の年賀状の準備をした。

今年は喪中であったために年賀状は出さなかったので、住所録の方は少し手直しをしなくてはならないので後回しにして、とりあえずは文面の方を作り、そちらの方だけでも今日中に印刷するつもりで作業に取りかかった。

何時間かかけて文面が完成し、早速印刷に取りかかった。

ところが印刷を初めてしばらくすると、少しずつカラーの部分の色が薄くなり出したのである。

「ヤバイ! インク切れが間近だ!」

前にも1・2度こうゆう事態に陥った事があるが、何しろ家のプリンターでカラー印刷をすることなどは殆どないので、インクの残量をチェックしていなかったのである。

慌てて時計を見ると、午後8時30分を過ぎている。

カラーを使った文面の印刷にはそれなりに時間がかかるので、出来れば休日である今日中にある程度の枚数は印刷しておきたいので、インターネットで新宿周辺の家電量販店の営業時間を調べてみると、午後9時閉店が多い中、新宿の東口にある某チェーン店の店舗が10時まで開いていることが分かった。

早速その店に電話を掛けて営業時間の確認と、ワシの使っているプリンター用のカラーインクの在庫の有無を問い合せた。

今時期はまだそれほどではないが、年賀状作製のピーク時になると、インクの在庫切れが起こることがあるのである。

多分、ワシと同じように、印刷を始めてからインク切れに陥って、慌てて買いに走る人が多いせいであろう。

幸いその店は日曜日も10時まで営業しているし、ワシの必要としているインクの在庫もあるということだったので、ワシは早速地下鉄に乗り新宿に向った。

それから約1時間後、無事に文面印刷が再開された。

今は、その待ち時間を利用して、この文章を書いているのである。

ところで、11日に米自動車大手3社(ビッグ3)の救済法案が上院で事実上の廃案となり、議会が主導する救済は見送られる見通しになったが、その最大の要因として、

「賃金などを引き下げてコストを日系メーカーなどと競える水準に抑える条件に、全米自動車労働組合(UAW)が反対したこと。」

が上げられているが、もちろん賃金の引き下げなどは、どのような労働組合も喜んで受け入れるわけはないが、会社が公的支援(=税金の投入)がなければ年内の資金繰りに行き詰まると訴えている時に、従業員の給与がアメリカの労働者の平均所得の2倍以上であると言われているビッグ3の労働者達が、

「税金でもって会社を救って欲しいが、自分達の給料を下げられるのは嫌だ!」

と言うような勝手な言い分を通そうとすること自体が不思議である。(もっとも、そういう勝手な事を言っているのは、労働組合の幹部達だけなのかもしれないが。)

もちろん、今回の危機を招いたのは労働者ではなく、救済をめぐる公聴会に専用のジェット機で乗り付けてひんしゅくを買ったトップ達を含む、ビッグ3の歴代の経営陣であるが、彼等経営陣だけではなく、自分達よりも収入の少ない人間達も払っている税金でもって会社を救済してもらいたいが、自分達の高賃金、好待遇だけは手放さないという従業員の発想自体をも変えなければ、幾ら税金をつぎ込んだところで、会社が延命することはあっても立ち直ることは難しいであろう。

年末に向け、越年資金の調達に必死に走り回っている中小企業の経営者達や、

「会社が潰れるよりは・・・」

と言って賃金カットに耐えているそれらの企業に勤めている人々の姿を身近に見ているワシとしては、アメリカの自動車業界というのは、典型的な大企業病にかかっているとしか思えないのである。

   ブッシュの痛恨事・・・12月7日

米国のブッシュ大統領はテレビのインタビューで、来年1月で8年間に及ぶ自らの在任期間を振り返り、

「大統領の職にあった中で、最大の痛恨事はイラクの情報の誤りだった。」

またイラク戦争については、

「多くの人がフセインを排除する理由に大量破壊兵器を挙げていた。政権の人間だけでなく、多くの議員もそうだった」

などと釈明し、

「情報が違っていたら、と思う。」

と語ったたそうだ。

ブッシュ政権が03年3月、イラク開戦に踏み切った最大の根拠は、

「旧フセイン政権が大量破壊兵器を隠しているという情報だった。」

が、その情報は後の調査報告などで完全に否定されたが、その誤った情報に基づくアメリカのイラク侵攻によって、アメリカ軍、イラク軍の兵士のみならず膨大な数の一般市民が死んでいき、今も死につつあるのである。

そのような間違った情報とそれに基づく戦争であったにもかかわらず、

「何故、そのような誤った情報が大統領を初め政府の高官達信じられるに至ったのか?」

という点になると、今なお不明な点が多いのである。

その真相の解明や責任の所在を明確にしないままで、

「情報が違っていたら、と思う。」

と言われたところで、ブッシュにしてみれば、「痛恨事」でしかなかった事が元で引き起こされた戦争で死んで行った人間が生き返るわけではないし、何よりもその間違った情報にもとずいて戦争を始め多くの死傷者を出し、イラクに大量破壊兵器が存在しないことが明らかになった後も、あくまで「イラク戦争の正当性」を叫び続けた当のブッシュ本人の責任が軽くなるわけでもない。

この問題に関しては、イギリスのブレア前首相は2004年に、

「サダムが実際に生物化学兵器を保有していたという証拠は、開発能力があるという証拠とは異なり、結果的に間違っていた。私はそれを認め、受け入れる」

とイラク開戦の前提だった情報が誤っていたと認めたが、それに対し日本の場合小泉元首相は、

「フセイン大統領が見つかっていないからイラクにフセイン大統領は存在しなかったということ言えますか、言えないでしょう。大量破壊兵器も私はいずれ見つかると思う」(’03年6月の党首討論)

と言うわけの分からない言い訳をしたり、

「(イラクの大量破壊兵器問題は)今、未解決。持っていないとも断定できない。持っているとも断定できない」「日本が(イラク戦争を)支持したのは、…今でも正しかったと私は思っております」('04年1月衆院予算委員会)

と言う発言を繰り返した後に、

’05年の1月には、

「私も(イラク戦争開戦の)あのころはいずれ見つかるんじゃないかと思っていた。しかし、結果的にはないということ。思いと予想と見込みは外れる場合がある」

と言う無責任な発言をするに至っている。

「ブッシュ大統領から、イラクが大量破壊兵器を所有している確固たる証拠を見せられた。」

と言って、いち早くアメリカのイラクに対する軍事行動を支持を表明したのは、他ならぬ小泉元首相である。

ブレアやブッシュの時代が終わろうとも、日本の首相がいくら替わろうとも、イラクでは今日も罪もない市民の血が流され続けているのである。

そんなイラクの人々にとっては、今回のアメリカ発の世界不況はさしずめ、

「アメリカにアラーの神の罰が当たった。」

と言ったところではないのだろうか。

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