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日本の怨霊・・・大森亮尚、平凡社、2,400円
怨霊の存在を認めるかどうかは別として、奈良末期から平安時代にかけて広まった「御霊信仰」に象徴されるように、日本の社会では古くから怨霊の存在が信じられていたことは確かである。
本書は、光仁天皇の皇后でありながら、夫の光仁天皇を呪詛したとして皇后を廃され、皇太子を廃さた息子である他戸王共々幽閉され、息子と同じ日に逝去したとされる井上内親王と、桓武天皇の同母弟でありながら、藤原種継暗殺事件に連座して廃され、無実を訴えるため絶食して淡路国に配流の途中で憤死した早良親王の2人を中心に、藤原広嗣や御霊八社の神々などの怨霊となった人々の事を取り上げた本である。
御霊信仰について著者は、
「こうした祟りを恐れ、死者の怨霊を祀るなどといった信仰は、前近代的なものとして、現代人には軽視されてしまうかもしれないが、侮れない点もある。
それは御霊信仰が、勝者と敗者との逆転現象を起こすところにある。」
と指摘している。
それは即ち、「皇位継承争いや、政治的紛争で敗れた側、滅ぼされた側が、死後祟りを発動させて、勝者を圧迫していくことで、滅ぼした側は、政治的、現世的には勝者でありながら、敗者を常に意識し、敗者を鎮魂し、慰霊し、謝罪しなければ、勝者の立場が保持できない状況に追い込まれるわけである。」
と言うことになるのであるが、本書を読み終えて思うことは、自らが滅ぼした実弟の早良親王の霊に向けて何年にも亘って慰霊、謝罪している桓武天皇の事例を見るまでもなく、怨霊を生み出した最大の原因のひとつは、勝者の側の自らの行為に対する罪悪感や後ろめたであろう、と言うことである。
本書は、怨霊に興味がない人でも歴史に興味がさえあれば、それなりに面白く読める本である。
(※ 著者が知り合いのため、★印による評価は控えさせて頂きます。)
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「歎異抄」を読む・・・本多静芳、角川学芸出版、2,200円(★★★★)
隠れたベストセラーとも言われる「歎異抄」は、前半の親鸞の言葉を編集した「師訓編」10条と、それに対する「歎異抄」の著者である唯円の思いを記した「歎異編」8条とに大きく別れるが、本書はそのうちの「師訓編」10条を取り上げ、その各条の内容に解説を加えた書である。
浄土真宗本願寺派の住職でもある著者が本書で試みているのは、「無難な従来の解釈の紹介」ではなく、著者自身の理解や信心に基づいた解説である。
「歎異抄」という書の性格上、その解説書である本書には、浄土真宗教団や自分も含めた真宗の僧侶達に対しても、手放しの肯定ではなく手厳しい批判も見られるが、その姿勢には好感が持てる。
また、初めて「歎異抄」を手に取った人にも分かりやすく書かれているので、興味のある人にはお勧めの一冊である。
※ この本を読んで興味を持たれた方には、同じ著者の「歎異抄に学ぶ大乗仏教入門」(国書刊行会)もお勧めである。
最後の親鸞・・・吉本隆明、春秋社、1,800円(★★★★)
このところ親鸞に関する本を何冊か読んでいるが、それらを読んでいる最中に、昔読んだこの本を読み返そうとずっと思っていた。
奥付を見ると発行日は昭和51年10月31日となっていたので、約30年振りに読んだ事になる。
最初読んだ時は仏教や親鸞に対してほとんど興味がなかったので、「あとがき」の中で著者が、
「ここ数年書いてきた文章の中で、ここに収録された論稿は、わたしにとってもっとも愛着の深いものである。」
と書いていた意味が分からなかったが、今回読み返してみて、その意味が少し分かったような気がすると同時に、いずれまたこの本を手に取る日が来るという気もするのである。
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沈底魚・・・曽根圭介、講談社、1,600円(★★)
第53回(平成19年度)江戸川乱歩賞受賞作。
巻末の乱歩賞の選評でも、
「この『沈底魚』にはしかし、僕は根本的なところで強い拒否反応を示してしまった。」
と書いた選者がいたが、そこまでは言わないまでも、本書は読んでいて余り面白く感じなかった。
その理由は多分、警視庁公安外事二課の刑事達が、まるでテレビドラマにでも出てくるどこかの署の刑事達のレベル並に描かれているところから来ているのかも知れない。
国際的な謀略を捜査する刑事達の姿を、捜査の最中に仲間内で殴り合いをしているようなレベルに描いていては、後は推して知るべしである。
また、病気の娘を抱えて、まるで相手に弱みを握られスパイに仕立てられる為に存在するような刑事まで登場してきては、何をか言わんである。しかし、その刑事達の描写を、
「公安刑事を勤める男たちの描写が秀逸である。」
とか、「刑事達の存在感も抜きんでていた。」
と評価する選者もいるのだから、この種の作品に対する評価は人それぞれだと言うことであろう。
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神々の山嶺(いただき)・・・夢枕 獏、集英社文庫、上 724円・下 800円(★★★★★)
第11回柴田錬三郎賞(1998年)を授賞した、文庫本上下で1000頁を越える長編山岳小説。
あとがきの中で著者は、
「書き出してから、書き終えるまで、三年以上かかった。この話を書こうと思ってからは、およそ二十年近くが過ぎている。原稿用紙およそ千七百枚。
・・・・・
全部書いた。全部、吐き出した。 力およばずといったところも、ない。全てに力がおよんでいる。
・・・・
これだけの山岳小説は、もうおそらく出ないであろう。それに、誰にでも書けるというものでもない。
どうだ、まいったか。」
と書いているが、この著者自身の言葉が的確にこの小説のことを語っているであろう。
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親鸞と歎異抄入門、大法輪閣編集部編、大法輪閣、2,000円(★★★)
浄土真宗を開いた親鸞の生涯とその教えの内容を初心者にも分かりやすく解説した本である。
第一部「日本仏教の中の親鸞」、第二部「親鸞の生涯と心の遍歴」、第三部「歎異抄入門」からなる本で、各章では現代の浄土真宗を代表する教学者や布教師達が、浄土真宗を開いた親鸞の生涯とその教えの内容を、初心者にも分かりやすく解説した本である。
第三部では「歎異抄」の主な内容についても解説されており、コンパクトなサイズの割には親鸞の思想の入門書としては内容の充実した本である。
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飛鳥 その光と影・・・直木孝次郎、吉川弘文堂、2,400円(★★★)
本書は、古代史の大家である著者が、各種の雑誌に発表した古代史の舞台である「飛鳥」の姿を描いた原稿を一冊にまとめた本である。
「古事記」・「日本書紀」・「万葉集」などの文献資料を駆使しながら描かれた内容は、平易な文章で書かれていながらも、内容的には高度なものも数多く含まれている。
普通の観光ガイドとはひと味違った「飛鳥のガイドブック」とも言える本である。
凍(とう)・・・沢木耕太郎、新潮社、1,600円(★★★★)
八千メートル級の山を単独・無酸素で踏破する世界屈指のソロクライマー山野井泰史と、その妻で同じく登山家の妙子の極限のクライミングを描いた講談社ノンフィクション賞受賞作。
この本のハイライトは、2002年に山野井夫妻が挑んだヒマラヤのギャチュンカン北壁の登頂場面である。
山野井は途中で妙子を置いて単独登頂には成功するものの、二人は下山途中に雪崩に遭い苦闘の末に奇跡的な生還を果たすが、山野井は凍傷のために手足の指を計10本切り落とす代償を払うことになった。
妙子もまた凍傷のために両手の指を全て失うことになった。
山野井夫妻の登山にかける情熱や、極限状態の中での夫婦の身心のたくましさや、互いの信頼関係などは、読んでいて思わず「凄い人達だ!」と叫びそうになるほどである。
日常に安住し、易きに流されがちな自分を戒めるためにも、たまにはこういう本を読むのも良いものである。
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生物と無生物のあいだ・・・福岡伸一、講談社現代新書、740円(★★★)
生命とは何か、生物と無生物のあいだには一体どのような界面があるのだろうか?
その問に対して分子生物学者である著者は、
「生命とは自己複製するシステムである。」
との定義では不十分だと考える。
本書は、そう考える著者の生物と無生物のあいだにある界面を定義し直そうとする試みである。
自己複製するものとして定義された生命は著者によって、
「生命とは動的平衡にある流れである。」
と再定義されるが、その定義は必然的に、
「絶え間なく壊される秩序はどのようにしてその秩序を維持しうるのか?」
という問を立ち上がらせる。
その答えは本書の中で明らかにされているが、文章も上手く、随所で語られるエピソードの数々も興味深い一冊である。
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大峯千日回峰行・・・塩沼亮潤・板橋興宗、春秋社、1,800円(★★★★)
「大峯千日回峰行」は、往復48km、標高差1400mの獣道を、年に120日、9年間かけて1000日歩き通す行で、一度歩きだしたら途中で投げ出すことの許されない行である。
本書は、32歳でその「大峯千日回峰行」を満行した塩沼阿闍梨と、曹洞宗の管長を勤めた板橋老師との対談集である。
もっとも、対談集と言っても主役は塩沼氏であり板橋氏はもっぱら聞き役である。
※ この本に関しては、7月2日付けの「ひとり言」のページに感想を載せてあります。
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海軍乙事件・・・吉村昭、文春文庫、524円(★★★)
昭和19年3月に、連合艦隊の参謀長がフィリピンでゲリラの捕虜となり、参謀長が所持していた重要機密書類が奪われた事件を描いた表題作と、「海軍甲事件」と呼ばれる昭和18年4月の山本五十六大将の戦死事件等4編の短編を集めた短編集。
この短編集が書かれた時期を境に、著者は戦史作品から遠ざかり歴史作品を数多く書くようになるが、その背景には、「多くの証言者の高齢化による死」あった。
それは、資料収集、綿密な取材及び検証を基にした正確な描写を心がける著者にとっては必然的な選択だったのかも知れない。
中原の虹(第3巻)・・・浅田次郎、講談社、1,600円(★★★)
第2巻以来約半年振りに刊行された、清朝末期の中国を舞台にした長編歴史小説「中原の虹」の第3巻。
皇太后亡き後に残された幼き皇帝、各地で巻き起こる革命の嵐、満州を支配下に収めた馬賊の統領張作霖。
新しい時代を切り開くのは誰か?
と言う風に舞台装置は揃ったのだが、今のところはまだ物語の展開が遅く、著者の代表作である「蒼穹の昴」に較べると、読んでいても今ひとつ夢中にはなり切れないが、取りあえずは今年11月に刊行予定の第4巻は読んでみるつもりである。
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古代からの伝言(民族の雄飛)・(悠久の大和)・・・八木荘司、角川文庫、各552円(★★)
下の「日本建国」に続くシリーズで、「民族の雄飛」の巻では、たとえば戦後の歴史学界ではその存在が疑われている神宮皇后を実在した人物であると見なし、彼女の新羅征討をも歴史的事実と見なして話しを進めているが、その根拠として著者は、
「神宮皇后、息長足姫(おきながたらしひめ)は実在した。たとえば平安朝いらい、各地に伝わる弘法大師の伝説が空海の実在をしめしているように、古事記・日本書紀・風土記に記された神宮皇后の伝承が、古代のヒロイン、息長足姫の実在を証明しているのである。」
と述べているが、今も各地に伝承が残る平安時代人である空海と、3・4世紀頃の人とされ、それから数百年を経て書かれた「古事記」・「日本書紀」・「風土記」にしか記述がない神宮皇后の伝承とを同一次元に並べて論じる姿勢自体が問題である。
また、「悠久の大和」の巻では、6世紀の継体天皇に関して、
「いずれにしても、継体天皇が応神天皇の五世の孫であるという日本書紀の記述には、否定しがたい傍証が揃っているのである。」
としているが、その傍証というのは
「『上宮記』に応神天皇から継体天皇までの系譜が載っているという事だけ。」
であり、新しい発見でもないそれを持って「否定しがたい傍証が揃っている。」というのも強引過ぎるであろう。
要するにこのシリーズは、
「日本という国は、古来より『万世一系の天皇』が統治していた国であり、『古事記』・『日本書紀』の記述は、神話時代を除き概ね信頼出来る。」
という、いわば戦前あるいは右翼的な思想ともいうべき「皇国史観」に基づいて書かれたシリーズであり、従って、
「事実がどうであるかよりも、自らの依って立つ歴史観から見た歴史を記述したい。」
という著者の思いが本になったものであるといわざるをえない。
本の執筆動機としてはそれはそれでいいのではあるが、問題はこれが「産経新聞」に連載されていたということにある。
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古代からの伝言(日本建国)・・・八木荘司、角川文庫、743円(★★★)
1999年から2004年まで産経新聞に連載されていた「古代からの伝言」シリーズ(全7巻)が、現在順次文庫化されているが、本書はその第1巻に当たる。
「古代からの伝言」は「古事記」・「日本書紀」をもとに、ノンフィクションタッチで古代史を描いたシリーズであり、読んでいてそれなりに面白いのであるが、著者はさすがに産経新聞の東京本社の論説委員長をつとめたほどの人物であり、本書においても、神武東征やを「歴史的事実の反映である。」としていたり、2代から9代までの「欠史8代」と呼ばれて架空の存在と見なされている天皇を実在の存在としたりと、経歴に見合った歴史観を貫いている。
その理由を著者はこう述べている。
「とにかく民族の貴重な伝承を、多少疑わしいからといって、ぼろくずのように投げ捨ててしまってかえりみない態度は改めなければならない。」
しかし、本書で彼が取っているのは、
「多少疑わしくとも、古事記や日本書紀に書かれていることは歴史的事実の反映である。」
との前提に立った立場である。
従って古代史に対する基礎知識がそれほど無い場合は、本書を読む上ではその内容を鵜呑みにするのではなく、「本書の内容は決して歴史的事実に基づいて書かれているわけではなく、あくまで「古事記」・「日本書紀」の記述をベースにした著者の創作作品である。」
という点に注意しながら読むことが大切である。
そうすれば読み物としてそれなりに面白く読めるのであるが、そうでなければ本書に書かれている、
「『邪馬台国における小国統治の時代』は『神武による倭国の大乱および平定の時期』より後である。即ち神武天皇が東征を終えた後に邪馬台国の建国があり、神武東征によって作られた国は、邪馬台国と隣り合っていた。」
という著者独自の見解までを、歴史的事実と信じてしまう可能性がある。
まあ、ここまで信じてしまう人は少ないとしても、本書にはこれに類した記述が数多く見られるのである。
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脱出記・・・スラヴォミール・ラウイッツ、ソニーマガジンズ、2,200円(★★★★)
1941年4月、無実ので罪強制労働25年の刑を受け、ソ連の西シベリアにある第303収容所に収容されていたポーランド陸軍騎兵隊中尉であった主人公は、6人の仲間達とともに収容所を脱走する。
彼等は、十分な水も食料も持たずに灼熱のゴビ砂漠を越え、酷寒のヒマラヤ山脈を越え、ひたすらインドを目指した。
本書は、その彼等の6,500キロにも及ぶ逃亡の記録である。
本書の冒頭には、スターリン体制下のソ連における裁判や収容所の様子が詳しく描かれているが、そのようなデタラメな裁判の結果、極寒のシベリア奥地での25年もの強制労働の刑を科せられた主人公達の理不尽な扱いに対する怒りと、自由への激しい希求が、彼等の長い逃亡生活を支えたのであろう。
そうしたソ連での非人間的な扱いに対し、逃亡中の彼等が通過するモンゴルやチベットで、見ず知らずの人たちから暖かいもてなしを受けた仲間のひとりが言う。
「あの人たちを見ていると、自分の方が卑しい気がする。これまで、人間としての尊厳を失った人々に対する、苦々しい記憶がわだかまっていたが、あの人たちがそれを、ほぼ一掃してくれた。」
罪もない大勢の人間を捕らえ、極寒の地で強制労働につかせるのも人間であり、貧しい暮らし振りにもかかわらず、見ず知らずの旅人達に食事と一夜の宿を提供し、彼等の旅の無事を祈るのもまた同じ人間である。
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さよなら、サイレント・ネイビー・・・伊東 乾、集英社、1,600円(★★★★★)
第4回「開高 健ノンフィクション賞」受賞作である本書は、現役の東京大学助教授である著者が、東京大学の大学院での同級であり、地下鉄サリン事件の実行犯として1審、2審で死刑判決を受け、現在最高裁に上告中の豊田亨被告のために最高裁へ提出した上申書を元に書かれた異色の本である。
第二次世界大戦敗戦からオウム真理教に至るまで、
「『誰かが黙って責任を取る』という事を繰り返しているから1945年も1995年も、そしていまも、何一つ本当には裁かれないし、日本は何一つ変らない。」
との思いを持つ著者は、豊田被告に対し、
「豊さん。豊さんでしか語れない、また豊さんだからこそ語りうることを語って欲しい。」
との願いを込めて、上申書を書いたのである。
現役の東大助教授と言っても、理学部の出身でありながら現役の音楽家であり作曲家でもあり、単にアカデミズムの世界の中で育っただけの人間ではない著者によって、数多くの人々を訪ね歩き、複雑系の概念である「創発」と言う考え方や、「脳機能可視性」などの最新の手法を活用しつつ、現実のマインドコントロールの問題にも深い考察を重ねて書かれた本書は、単なる「友人のための上申書」と言うレベルを遙かに超えて、読む者にも「オウム事件」以外の様々な問題に関して深く考えることを促す内容である。
だからこそ、本書が面白いのであるが。
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法華経の世界・・・東方出版、平川 彰、2,000円(★★★)
本書は、大乗仏教の代表的な教典である「法華経」について、興福寺佛教文化講座で昭和62年4月から2年間にわたってなされた23回の連続講話をまとめた本である。
「法華経」自体は、前半14品(迹門)と後半14品(本門)で全部で28品あるが(岩波文庫版では上・中・下の3巻)、本書ではそのうちの17品が取り上げられ解説されているので、「法華経」の主要な教えの内容を理解するには恰好の書である。
また、仏教によってすべての人が悟りをひらけるという「一乗思想」を説く「法華経」を、「三乗思想」の立場に立つ「法相宗」の大本山である興福寺の講座で取り上げられている事にも興味を引かれた。
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現代を生きる仏教・・・秋月龍a、大蔵出版、2,500円(★★★)
鈴木大拙に学んだ禅者であり「新大乗」の提唱者でもあった著者が、「西田哲学的な生き方」をテーマとして、自らの「仏教的人生観」を分かりやすく語った本である。
もっとも仏教関係の本の場合、「人を見て法を説く」ではないが、平易な言葉で書かれているからと言ってその内容が浅いとか、難解な語句を散りばめているからと言ってその内容が深いとか言ったものではないし、「西田哲学」に馴染みのない読者にとっては、すんなりと理解出来にくいであろう部分も多々あるが、このページでも取り上げた著者の「誤解された仏教」(講談社学術文庫)と合わせて読んでみるのもいいかも知れない。
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昼は雲の柱・・・石黒 耀、講談社、2,300円(★★)
九州の巨大カルデラ火山の破局的な大噴火の模様を描いたデビュー作「死都日本」、東海地震を描いた「震災列島」に続く著者の第2弾で、富士山の噴火を描いた作品。
全2作品は興味深く読めたのだが、本書は富士山の噴火を描きつも、「古事記」・「日本書紀」に描かれている建国神話と古代人の火山信仰との関連をも同時に描こうとしているが、一冊の本に色々な内容が詰め込まれすぎて、本書ではそれが必ずしも成功していないように思われる。
また、詳細な描写による富士山の噴火活動のリアリティと、飛躍の多い「記紀」の記述に関する主人公である高校生達による御都合主義的な解釈とがちぐはぐな印象を与えるし、同時に、緊迫した状況下の登場人物達の会話に言葉遊びの部分が目立ちすぎ、これも富士山噴火という状況下の緊迫感を奪っているように思われる。
「言葉遊び」的な会話は嫌いではないが、この種の内容の小説の場合は興ざめである。
巻末の「著者のあとがき」を読むと理由が分かるのだが、力量のある著者がせっかく「富士山噴火」という面白いテーマを描きながら、一冊の小説としては極めて中途半端な形になってしまっているのである。
「一体何のために編集者がいるのだろう?」
と思わせる本である。
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マオ 誰も知らなかった毛沢東、講談社、上・下各2,200円(★★★★★)
「ワイルド・スワン」の著者であるユン・チアンが、1893年の誕生から1976年に死亡するまでの毛沢東の82年間の生涯を、10年以上の歳月と膨大な資料と数百人に及ぶ関係者のインタービューにもとずいて書き上げた上下2巻の作品である。
本書で描かれている毛沢東は、偉大なる中国革命の指導者、中国共産党の指導者としての神格化された毛沢東ではなく、権力欲に取り憑かれた、冷酷で人類史上最悪の独裁者である。
本書の内容に関しては、一部の専門家等から事実関係に関する疑問も出ているが、それでも機会があれば是非一度読んで欲しい本である。
興味深い内容の本であるが、惜しむらくは、本書の中には毛沢東の考えや行動に関して断定的な表現が目立つが、その中には著者がそう断定する根拠が示されていない場合も多く、また巻末に付された膨大なインタビューリストに掲載されて人物達の中には、例えば日本人の三笠宮や宮本顕治等、インタビューの内容がまったく本書に現れていない人物が数多く存在する事である。
それらが本書を読んだ人間が、本書の内容に関して全面的な信頼を置き得ない理由である気がする。
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水滸伝・・・北方謙三、集英社文庫、1・2・3巻(各600円)(★★★★)
著者の司馬遼太郎賞である「水滸伝」(全19巻)のうち3巻目までが文庫化されていたので、正月休みを利用して読んでみた。
全19巻もの長編小説となるとなかなか手が出しづらいものであるが、本書は今後も月に1巻ずつ刊行される予定なので、そのペースであれば何とか読み通せそうな気がする人も多いと思い、刊行途中にもかかわらず取り上げてみたのである。
この「北方版水滸伝」には、登場人物や地図が掲載されている専用のホームページもある。
自壊する帝国・・・佐藤 優、新潮社、1,600円(★★★)
同じ著者の下の獄中記を読んで、著者がかつてロシアで何をし何を見たのかが知りたくなったので、続いて読んでみた本である。
この本(及びこれまでの2冊)を読んだ限りでは、著者は稀有な能力を持ち、ソ連邦末期及びその崩壊過程において極めて特殊な経験をした外交官である事は確かなようである。
バルト3国の歴史やソ連邦との関係等やソ連邦の崩壊過程も興味深かったが、ただ注意しなければならないのは、これはあくまでも「佐藤 優」という人間の目を通してみられたものであり、彼が得た様々な情報も、その殆どが彼が個人的な人脈から得た情報であるという点である。
著者は多くの場面において、客観的な情報や資料を使わず自らが直接得た情報に基づいて判断を下しているが、(諜報の現場にいた時はそれで良いとしても)、本書の読者としてはその点を充分考慮して読み進めなくては、「佐藤 優」から見たストーリーにからめとられてしまう可能性がある。
また、前にも書いた事であるが、この本を読み終わった後になっても、著者がキリスト教神学に造詣が深いという事は分かったが、著者がキリスト教の信者である事には納得がいかないのである。
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獄中記・・・佐藤 優、岩波書店、1,900円(★★★)
本書は下に紹介した「国家の罠」の著者が、500日余りの拘置所暮らしの中で綴った62冊の獄中ノートからの抜粋や弁護士や友人等に宛てた書簡からなる500ページほどの獄中記である。
僅か4畳ほどの独房の中で、彼は何を考え自分の事件をどのように捕らえようとしていたのか?
その内容には興味を引かれる部分が大いにあったが、同時に幾つか疑問に思う点もあった。
例えば、著者は自らの行動は全て「国益」のためであったとしているが、肝心のその「国益」とは何であるのかが明確にされていないのである。
この本を読む限りでは、自分達が「国益」だと思った事が「国益」なのだという自己正当化以外の回答は見つからない。
また、著者が鈴木宗男を評価する理由として挙げている、鈴木流の「公平配分」なるものの実体は、
「中央からの公共事業を自分の選挙区に持って来る。」
という古いタイプの地元への利益誘導型政治でしかなく、これを「ハイエク型自由主義モデル」との対比で「ケインズ型の公平配分の理論」と呼ぶのは無理があるであろう。
また、最大の疑問点は、
「僕は常に『良心の声』(職業的『良心の声』と僕自身の『良心の声』に開きがあった事は否めないが)に従って行動してきたので・・・」(439頁)
という表現である。
このように、「職業的良心の声」とか「僕自身の良心の声」という風に分けられ、なおかつ互いに開きがある「良心の声」って一体何なのだろう?
自らキリスト教徒であるとしながら、「キリスト教徒としての良心」以外に良心があると言うのなら、彼が言うところの「キリスト教徒」というもの自体が分からないのである。
こんな「良心」なるものは、言葉の遊びでしかないのではないか。
そして、そのような「私は良心に従って行動した」と書かれても、読んでいる方としては戸惑うだけである。
また、著者が獄中で読んだ本の多さやその内容を評価した書評も多いが、哲学書や思想書の類はともかく、神学関係の本に関しては、
「神学関係に興味を持つ、ごく少数の人間にとってしか興味の無いような本の解説のようなものを、何故大量にこの本の中に入れたのであろう?」
元外務省の情報分析官であったという著者の経歴から考えて、獄中のノートはもちろん書簡類も、いずれ何らかの形で公表する事を前提で書かれたものである、という事は間違いないであろう。
自らの事件を解釈するのにヘーゲルを引用したりしている部分なども、その延長線上にあるという風にしか感じられるのである。
ひと言で言うならば、思想的に深く考察されている部分と、無理矢理自己の正当性・整合性を保とうとする部分の入り交じった本である。
また、この「獄中記」を読むと、著者がかつてロシアで何をし、何を見たのかが知りたくなってくるのである。
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国家の罠・・・佐藤 優、新潮社、1,600円(★★★★)
副題に「外務省のラスプーチンと呼ばれて」とあるように、著者は鈴木宗男疑惑に絡み2005年2月に懲役2年6ヵ月執行猶予4年の判決を受けた(控訴中)外務省の元主任分析官である。
日露平和条約の締結のためにロシアに関する情報活動に従事していた彼が、何故に突然の逮捕及び500日余りの拘留と接見禁止という羽目に陥ったのか?
また、彼の逮捕直後のマスコミの大騒ぎ振りや、それほど長い間拘留されていた割には、何故彼の判決は執行猶予付きなのか?
取り調べのごく初期の段階で著者は担当検事から、
「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです」
と告げられる。
日ロ関係の交渉の歴史を当事者として見てきた著者が描く北方領土を巡る外交の裏側や、田中真紀子と鈴木宗男の闘い、国策捜査の実体、取調室における担当検事との駆け引き等、読み応えのある内容である。
既に度々マスコミでも取り上げられているように、著者が優秀な情報分析官であり、一流の知性及び冷静・沈着な判断力を有している事は、この書を読んだだけで充分理解い出来るのである。
そしてこの書を読む事によって、その彼が他にどんな事を書いているのか、彼の他の著作にも興味を持ったのである。
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古代からの伝言4〜7巻・・・八木荘司、角川文庫、552円〜629円(★★)
この本の前半部分の「日本建国」、「民族の雄飛」、「悠久の大和」の3巻分については少し前に書いておいたが、その際にこの本の問題点と、この本を読む上での注意点を上げておいたが、その時の指摘が間違いでなかったかどうかを確かめるために残りの「日出づる国」、「水漬くかばね」、「壬申の乱」、「我が国家成る」の4巻を読んでみた。
この本に関する書評は概ね好評であるが、日本書紀の面白そうな部分を取り上げて、それを現代文で小説のような構成すれば、面白い読み物になるのは当然であるが、問題はそれが、
「事実がどうであるかよりも、自らの依って立つ歴史観から見た歴史を記述したい。」
と言う思いによって書かれ、しかもそれを読み手にさも歴史的事実であるように錯覚を起こさせようと言う意図を込めて書かれた場合は、極めて危険なとなるのである。(ましてそれが、元大新聞の論説委員長であった人間によって書かれたものであれば、その危険性は更に増すのである。)
多分、それは産経新聞掲載当時から変らぬ意図であろう。
読み物としての面白さに惹かれてこの本を読むのはよい。
しかし、読み終わった後に、「そうだったのか!」と何ら自分で考えずに納得しないで、「本当にそうなのか?」
と自分で考え始める事が大切なのである。
また、最終巻の「我が国家成る」の巻末の荒山徹による解説も、この本の性格をよく現わしている。
明解 仏教入門・・城福雅伸、春秋社、2,200円(★★★★)
仏教の入門書は数多く出ているが、ひとくちに仏教と言ってもその範囲は広く、それらの入門書を読んでみても仏教の全体像を掴むは容易ではない。
そんな中で本書は、仏教の知識が全くなくてもその全貌が理解出来る仏教書として書かれた本である。
本書は、大学で仏教を教えている著者の、
「仏教とは一体どういう宗教で、その思想と実践とは一体どういうものなのか?」
と言うことを、全く仏教を知らない一般の学生知って貰うための、
「些末な点や細かい議論は捨て、通仏教的に、大掴みに、仏教の形、全貌を把握して貰うための講義」
を元に構成された本であり、仏教の入門書の定番とも言うべき水野弘元の「仏教の基礎知識」(春秋社)等に較べ圧倒的に読みやすいので、今まで仏教の入門書で挫折した経験のある方にもお勧めの本である。
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現代と仏教・・・・末木文美土編、佼成出版、2,500円(★★★)
本書は、サブタイトルに「いま、仏教が問うもの、問われるもの」とあるように、これまでもこのページでも何冊かその著書を紹介したことがある末木文美土が編者を務め、社会参加仏教(Engaged Buddhism)を論じた16編の論考を一冊の本にしたものである。
序論「仏教に何が可能か」の中で末木は、
「仏教は平和主義であるとか、仏教は生命を大事にするとか、口先だけのきれい事ををやめようではないか。自分の感覚として何が大事なのか、自分自身を見つめそして考え直すところから出発するのでなければならない。
「経典に書いてあるとか、宗祖がこう言ったから、ということは、もちろん宗派内の『公』としては成り立つし、それは否定しない。しかし、それは宗派を離れたら何の説得力も持たないことを認識しなければならない。」
「それでもどうしても自分が主張せずにはいられないこと、実践せずにいられないこと、そこから出発するし他ない。」
と書いているが、本書に載せられている論考には、そのような思いに駆られた著者達の思いが込められている。
また、本書の狙いは、「仏教は本当に意味があるのか」(大東出版社)の中で竹村牧男が、
「一切他者の利益をめざして今後生きよう、と覚悟することが菩提発心ということである、この事なしに大乗仏教はありえないであろう。」
「即今・此処におけるそのような主体の成立を説かないような仏教は、思想として時代の力とはなりえないと思われるのである。」
と述べていることにも通ずるところがあると思われる。
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物部氏の正体・・・関 裕二、東京書籍、1,400円(★★★)
「藤原氏の正体」、「蘇我氏の正体」に続く著者の「古代名門一族の正体」シリーズ三部作の完結編。
「日本書紀」によると、神武東征以前に物部氏の先祖である饒速日命(にぎはやひのみこと)は天磐船(あまのいわふね)に乗って大和に舞い降り、大和を統治していたのである。
即ち、天皇家が大和に来る前の大和の王家とも言うべき一族が物部氏なのであるが、不思議なことに饒速日命は、神武の大和入りの際に神武に抵抗する自らの妻の兄である長髄彦を殺し、神武に忠誠を誓っている。
日本列島の外れとも言うべき南九州の高千穂の峰に舞い降り、そこから大和を目指したと言われている天皇家の祖先と、直接大和に舞い降りた饒速日命の子孫である物部氏。
神道の中心に立ちながら仏教を容認しようとした天皇家と、仏教を異国の神を祀るものであるとして、あくまで仏教を排除しようとした挙げ句に蘇我氏に討たれた物部氏。
著者は本書の中で、この不思議な一族を吉備と関連ずけることで自らの推論を展開している。
著者の意見に同意するにせ、よしないにせよ、物部氏の素性に関して考察することは興味深い事である。
※ 「饒速日命」に関しては、綿密なフィールドワークに裏打ちされたジャーナリストである神一行の「消された大王 饒速日命」(学研M文庫)がお勧めである。
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進化しすぎた脳・・・池谷裕二、講談社ブルーバックス、1,000円(★★★)
一時は茂木健一郎の脳科学の本を読んでいたのであるが、最近の彼の本は出版点数が多い割には、内容的にはさほど面白くない本が多いので、彼以外の著者による「脳科学」の本を探していた際に目に留まった本である。
本書は、サブタイトルに「中高生と語る『大脳生理学』の最前線」とあるように、本書は著者がアメリカ留学中に「慶應義塾ニューヨーク学院高等部」で行なわれた脳科学講義の記録である。
著者自信の言葉によれば、彼がこの講義を行なうきっかけとなったのは、
「高校生レベルの知識層に説明して伝えることが出来なければ、その人は科学を理解しているとは言えない」という物理学者ファインマンの言葉である。
内容的には、本書のタイトルにもなった「進化しすぎた脳」の意味や脳と意識(心)の問題、人間が曖昧な記憶しか持てない理由等、大人の読者にとっても充分興味深い内容の話が展開されている。
読みやすい本なので、通勤の電車で読むのにも手ごろな本である。
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2,006年
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相克の森・・・熊谷達也、集英社文庫、800円(★★★)
「山は半分殺してちょうどいい。」
この言葉に興味を惹かれた主人公の女性ライターは、東北地方にあるマタギの村を訪れる。
その村で、今も熊狩を続けるマタギの頭領である男も人生の岐路に立っていた。
自然保護、環境保護が声高に叫ばれる現代の社会に於いて、マタギの伝統的な狩猟の継続と自然保護と両立の可能性を問う長編小説。
題材自体は悪くないのだが、主人公の女性に魅力がないために、小説としての面白みも半減されているように思える。
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エイジ・・・重松 清、新潮文庫、667円(★★★)
東京郊外のニュータウンに住む中学2年生の男子生徒を主人公にした作品で、著者の山本周五郎賞受賞作。
その夏主人公の住む町では、「連続通り魔事件」が発生し、捕まった犯人は主人公の同級生であった。
主人公や彼の同級生達は、その事件をどのように捉え、そのように反応したのか。
揺れ動く主人公達の世界を描いた長編小説と言うことであるが、果たして主人公達の反応にリアリティーがあるのかどうかに関しては、今ひとつ納得いかない部分があった。
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風の影・・・カルロス・ルイス・サフォン、集英社文庫、上下各780円(★★★★)
2001年5月の発売以来、世界37カ国、500万人の人が読んだと言われるスペイン発の長編小説である。
物語は、1945年のバルセロナで10歳になる少年が父親に連れられて行った、「忘れられた本の墓場」で一冊の本を手にしたことから始まる。
現在と過去とが交差しながら、霧のバルセロナを舞台に物語は進行していく。
本書を読み終わった時、
「久し振りに小説らしい小説を読んだな。」
という気がしたと同時に、本書を片手にバルセロナの街を歩いてみたくなった。
今なら下記のサイトで本書に関しての情報を入手することが可能です。
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蘇我氏の正体・・・関 裕二、東京書籍、1,500円(★★)
下の本と一緒に購入した本で、本書で著者は
「蘇我氏の大和朝廷黎明期の王家を構成した一族であった。」
と結論づけているが、その結論自体に異論はないが、その結論へ至るプロセスが問題である。
「日本書紀」の記述により自らの推論の正しさを証明しようとする人々の殆どと同じ矛盾を、著者もまた抱えているのである。
それは、「日本書紀」の記述の中で、自らの推論にとって都合の悪いものは、
「書記の編者による歴史の書き換えの可能性があり、信頼出来ない記述である。」
と言いながら、一方では自らの推論の正しさの根拠もまた、その
「信頼出来ない歴史が記されている書記の記述の中に求めざるをえない。」
と言う矛盾である。
そんなに無理をして「蘇我氏が名実共に当時の最高権力者(天皇の称号は当時はなかったが)であった事は、当時蘇我氏の邸宅があったと言われる「甘樫岡」に登ってみれば明らかである。
蘇我氏が最高権力者である天皇(当時は大王)の家臣であれば、王宮を見おろす位置に自らの邸宅を建てられるはずはないからである。
それが出来たという事は、蘇我氏が名実共に最高権力者であったと言うことであろう。
要するに、問題は果たして「甘樫岡」に蘇我氏の邸宅があったかどうかであり、最近の考古学の研究では、それは事実であった可能性が高いとされているのである。
藤原氏の正体・・・関 裕二、東京書籍、1,500円(★★★)
日本の古代史、とりわけ乙巳の変(大化の改新)や壬申の乱あたりの歴史は、藤原氏がいかなる一族であるかが分からないと正確には分からないのである。
何故なら、 そのあたりの歴史を記述している唯一の歴史書である「日本書紀」自体が、鎌足の子である不比等が編集責任者であり、彼が意図的に歴史を改ざんしている可能性が大であるからである。
鎌足の次男である不比等は、飛鳥時代から奈良時代初期にかけての絶大な権力を握った政治家であり、娘の宮子が産んだ聖武を天皇として擁立し、その聖武の妻として自分の娘の光明子(宮子の腹違いの妹で光明皇后)を送り込んでいたのである。
即ち、聖武は母と妻が不比等の娘という藤原色の極めて濃い天皇であり、その聖武天皇の後に即位した孝謙天皇に至っては不比等の孫であり曾孫でもあると言う、ガチガチの藤原系の天皇なのである。
このような地位にあり絶対的な権力を握り「日本書紀」の編集の指揮も取った不比等であるが、その父である鎌足の素性が息子が編纂した「日本書紀」を読んでみても、今ひとつはっきりしないのである。
また、天武朝においては全く無名であった不比等は、持統天皇の即位とともに権力を握るのであるが、彼の前半生も謎に包まれている。
と言うわけで、藤原氏はその素性からして怪しげな氏族であり、その後も対立する氏族をことごとく滅ぼし、その後1000年以上にわたり権力の中枢部に座り続けた一族なのである。
因みに、藤原氏が初めて聖武天皇の外戚となって以降、昭和天皇に到るまでの80人の天皇のうち、藤原系(藤原氏から枝分かれした家系も含む)の母から生まれた天皇が60人以上を占めている。(明治・大正・昭和天皇の母親達も全て藤原系である。)
従って、この謎の一族藤原氏の素性に関してはこれまでも数多くの本が書かれているが、多くの学者達のように、不比等が編集した「日本書紀」に拠っている限り、この一族の正体は見えてこないであろう。
著者は本書の中で、藤原氏の基礎を築いた鎌足を、当時百済から人質として日本に来ていた百済王豊璋(ほうしょう)ではないかとの説を展開しているが、これは面白い説ではあるが、その理由が「状況証拠と、もしそうであっても矛盾しない」というだけであり、鎌足を百済系の人間として考えるのはいいが、特定の個人と結びつける説には同意しがたい。この本を読んで藤原氏に興味を持たれた方には、天皇と藤原氏(馬場 朗、三一書房)もお勧めである。
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中原の虹(第2巻)・・・浅田次郎、講談社、1,600円(★★★)
11月1日に出版された清朝末期を描いた著者の長編小説の第2巻。
この巻には、衰退する清朝を支え続けた西太后の死ぬまでの時期が描かれているが、彼女に仕える宦官の春児(チュンル)等、「蒼穹の昴」に登場する人物も登場してくるので、現時点ではこの小説が何巻まで続くのかは分からないので評価しにくいのであるが、「蒼穹の昴」を読んだ人にはお勧めの本である。
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宗教と日本人(司馬遼太郎対話選集8)・・・司馬遼太郎、文春文庫、495円(★★★)
司馬遼太郎が「宗教と日本人」に関して、宗教学者の山伏哲夫・哲学者の橋本峰雄・作家の井上ひさし・ノンフィクション作家の立花隆・日本文学者のリービ秀雄達と交わした対話集。
山伏哲夫との対話の中で司馬は、
「私は、ひょとしてこの場所で使うかも知れない無神論というのは・・・仏教そのものは無神論である、というような高度な意味での無神論のことであって、この高度さというものは、なかなかついていけないほどのものだと思うのです。」
と述べ、また井上ひさしとの対話の中では、
「ところが、三権のほかに統帥権というものがあると勝手に解釈した連中がいた。そんなものがあるはずがないんです。しかし、有力な法学上の反対もなく、あるいは政治家の未成熟のために、まるで異常妊娠で子宮内でおかしな鬼っ子ができたかのように、統帥権の問題はしだいに大きくなっていった。」
また、立花隆との対話では、宇宙飛行士達の体験を空海の宗教体験と比較している。
対談なので、分かりやすく語られてはいるが、語られている問題自体は実はそれほど簡単な内容ではない。
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後楽園球場のサムライたち・・・澤宮 優、現代書館、2,000円
本書は、「蔵人」のお客さんでありサラリーマン生活のかたわら執筆活動を続けている著者の最新刊で、かつて巨人軍のフランチャイズ球場であった後楽園で活躍した、「悲劇のエース」沢村栄治から「エースのジョー」と呼ばれた城之内邦雄までの6人のサムライたちの姿を描いた作品である。
まえがきに中で著者は、本書執筆の動機を、
「六人の物語を通して今、平和の中で野球が思いきりできる幸せと、打算なく全力を出し切った男たちの潔さを知っていただければと思う。」
「この作品は昭和とはどういう時代であったかをプロ野球を通じて考えさせる時代論でもある。さらに日本と組織の中で、自分の役割をどのように果たしていくかを考えさせる日本人論でもある。そう思ってお読み下されば著者としてこれ以上の幸せはない。」
と書いているが、本書は同時に、分業化され勝つことが最優先化され、個性的な選手が少なくなってしまったプロ野球界の現在のあり方に一石を投じる作品にもなっている。
(※ 著者が「蔵人」のお客さんであるため、★印による作品の評価は控えさせて頂きます。)
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心脳コントロール社会・・・小森陽一、ちくま新書、680円(★★★★)
最新の脳科学の知見を取り込んだマーケッティング手法、即ち、それと気がつかないまま人を特定の方向に誘導するマインド・マネジメントである「心脳マーケッティング」の手法は、既に系統的に方法化され、実践的に使用されているが、現在東京大学で近代文学の教授を務めており、近代文学関係の著書も多い著者が、本書の中で問題にしているのは、
「その手法が、商品のブランド創りや、商品広告だけではなく、政治的なプロパガンダにも応用されている、という事実」
である。
とりわけ第3章の「ブッシュ政権の心脳操作」の章では、ブッシュ政権において具体的にどのような心脳操作が行なわれてたかを、具体例を挙げて解説している。
下で紹介した「データの罠」もそうであるが、マスコミ自体が「心脳操作」の手段と化してしまっている現在、著者が本書の中でも指摘している通り、我々自身が与えられた情報に関して、「本当にそうなのか」、「この二者択一しかないのか」、「偽りの選択肢の中にはめられているのではないか」、とまず疑ってみることが大切である。
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データの罠(世論はこうしてつくられる)・・・田村 秀、集英社新書、680円(★★★)
内閣支持率や憲法改正の賛否を問う世論調査から、空港の利用者数予測やスポーツイベントの経済効果まで、新聞やテレビ等のマスコミを通じて日々数多くの数値データが発表されているが、それらの数値の中には、客観性を装いながらも、発表者側に都合の良いデータや自分達の考えや特定の政策に人々を導こうとしているものが少なからず存在する。
また、本来それらのデータの客観性を検証すべきマスコミは、今ではそれらの役割を放棄し、「ただ発表された数値をテレビや新聞で垂れ流しているだけ。」、というのが現状である。
本書の序章で著者は、
「マスコミなどが提供するデータを額面どおり受け取ってもいけないが、逆にこの手のデータはすべてまやかしであると断じるのも早計である。データの中には明らかに誤りやウソと糾弾されるべきものもあるが、むしろ巧妙なトリックが仕掛けられているケースほうが多いからだ。」
と書き、本書の中で、
「このようなデータの罠を以下にして見破るかについて、すなわちデータの”正しい”読み方について」
具体的な事例を交えて解説しているが、マスコミが当てにならない現在、我々ひとりひとりがデータを見る目を養う事が大切であり、その為には時にはこうした本に目を通しておくのも必要だと思う次第である。
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中原の虹(第1巻)・・・浅田次郎、講談社、1,600円(★★★★)
著者の作品は「蒼穹の昴」以降も読み続けていたのだが、文章の上手さと泣かせどころのツボを心得たそれなりの作品に仕上がっているのだが、今ひとつ物足りない作品が多くて、いつの頃からか読まなくなってしまっていた。
「張作霖」を主人公にしたこの本は、久し振りの中国を舞台にした歴史小説ということで期待して読んだのだが、まだ第1巻とは言え、その期待に応えてくれた内容の作品である。
第2巻は11月1日の刊行予定であるが、今からその日が待ち遠しいほどである。
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大地の咆哮・・・杉本信行、PHP、1,700円(★★★★)
本書は外務省の中国問題の専門家であり、外交官として14年以上(台湾勤務を含む)を中国で過ごした前上海総領事であった著者が、著者自身の経験を踏まえて現代中国の姿を描いた本である。
本書には外交官の著書らしく、「日中平和条約締結」の裏話や「対日経済協力や対中ODA問題」などに関して興味深い話が数多く載っているが、もっとも興味を引かれたのは、「搾取される農民」と「中国経済の構造上の問題」の章である。
本書によれば、中国では都市部に住む住民は4億人で、それらの都市部の経済発展と無縁の9億近くの農民がいるが、その農民の生活は一向に向上していない。
また、中国における農民は職業と言うより身分であり、彼等は「農村戸籍」という戸籍に分類され、都市住民とは違い「生活保障」や「年金」・「医療」と言った社会保障の対象外なのである。
彼等の生活の貧しさの根本的な理由を著者は、
「社会主義を標榜しながら富の再分配のメカニズムがまったく働いていないことに集約されよう。」
と言い切っているが、このことは労働者・農民の党であるはずの中国共産党が、農民を切り捨てている事を意味している。
要するに、中国は名前こそ共産党という名の組織が支配していると言うものの、人口の半数以上を占める貧しい農民を切り捨てて経済成長を目指す中国という国は、もはや社会主義の国ではないのである。
従って、腐敗しきっている共産党幹部が資本家として企業を経営してようと、もはや驚くには当たらない。
また、深刻化する水不足や建設中の三峡ダムによる水の汚染の問題等、現代中国が抱える問題も取り上げられているが、本書を読むと、今後も中国が順調に経済発展を遂げて行くであろうとはとうてい思えないのである。
本書は外交官としてかなり突っ込んだ内容の本であるが、その理由のひとつには、執筆当時末期癌に冒されていた著者が、一種の遺稿として書いたものであるだけに、
「中国当局を恐れるよりも、誰にも遠慮せずに書きたいこと、書いて置くべきことを書こう。」
と言う意識で書かれた本であるからであろう。
また、彼の上海総領事在任中に、国を売るよりも死を選んだ彼の部下の死に対する無念さも有ったのかも知れない。
※ 著者である杉本信行氏は、この本の出版直後の8月3日に逝去されました。
誤解された仏教・・・秋月龍a、講談社学術文庫、880円(★★★★)
禅宗の老師であると同時に「臨済宗」の研究者でもあり、1999年に亡くなった著者には、仏教に関して数多くの著作があるが、本書はその著者の晩年の思想を平易な語り口で説いた本である。
もっとも平易な語り口で書かれた本であると言っても、その内容は、
「私は、霊魂を認めない。あの世も信じない。輪廻転生も否定する。三世の因果も信じない。」
と言った風に、
「仏教は無神・無霊魂論である。」
との著者の考えに基づいて書かれたものだけに、普通の仏教の考えからするとかなり革新的なものである。
本書に中で著者は、
「輪廻転生などというものは、古代インドの民衆が信じていた神話に過ぎない。そんなものを信じていなくても、仏教は立派に成り立つ。」
と言いきっている。(多少の注釈はつくが。)
また、アートマン(自我)とブラフマン(宇宙の最高心理)との合一を目指す「ウパニシャド哲学」の「梵我一如」の切に対しても、
「仏教の基本思想である『無我説』と相容れない。」
と仏教教義に現れる「梵我一如」思想と同じ構造の考え方をもきっぱりと否定している。
コンパクトで読みやすい本の割には、研究生活だけではなく、長年の著者自らの座禅体験に裏打ちされた内容が多く、興味のある方には是非お薦めの本である。
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最勝王・・・服部真澄、中央公論社、1900円(★★★★)
空海の生涯を描いた著者の最新刊。
著者が初めて歴史小説に挑んで平家の時代を描いた前作の「海国記」では、歴史的事実を時系列的になぞるようなストリー展開が目立ち、著者の持ち味である想像力の豊かさがあまり見られなかった事で残念な思いが残った作品であったが、今回は謎の多い中国への留学前の空海の姿を持ち前の想像力で活かして描いており、また、過度に専門的になることもなく空海の思想内容をも描いており、小説として面白く読み応えのある作品に仕上がっている。
作品の終わり近くに、
「仏者、人王、補佐の臣、この三者が揃って慈悲をもととし、智慧を合わせて民の安楽を願う、穏やかなとき・・・。まさしくかような、稀有のひとときが、この日本国にも、確かにあったのでございます・・・!」
と言う言葉があるが、この国の歴史上にそのような時代があったとしたら、確かに「稀有のひととき」であったであろう。
元もと想像力や文章力のある作家だけに、それに相応しい題材に巡り会えれば面白い作品に仕上がって当然なのかも知れないが。
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東京ダモイ・・・鏑木 蓮、講談社、1,600円(★★★)
本年度の「江戸川乱歩賞」受賞作であるが、書店で題名を見た時に迷わず買ってしまった本である。
何故なら、丁度下に紹介した太平洋戦争終結後も東南アジアに留まった元日本兵の話を題材にした本を読んでいた時であり、「東京ダモイ」という言葉に記憶があったからである。
「ダモイ」とはロシア語で「帰還」を意味する言葉であり、「東京ダモイ」とは終戦後ソ連軍によってシベリアの収容所に送られ抑留された60万人(そのうち、約6万人が抑留中に亡くなったと言われている)の日本兵達にとって「日本に帰る」という事を意味した言葉である。
本書は、その酷寒のシベリアの強制収容所で約60年前に起きた日本軍中尉斬首事件を背景にした物語である。
シベリアの収容所での生活の描写や物語の展開に比して、後半の事件の展開に起伏がないのが惜しまれるが、戦後60年余りを経た現在、著者の様な年代の作家が、こうした過去の歴史上の悲惨な出来事を取り上げ、その出来事を風化させまいとする姿勢には好感が持てる。
尚、シベリア抑留の体験記に関しては、検索サイトで「シベリア抑留」と入力すればいくつもの体験記が表示されるが、ここでそれらのひとつである、青森県在住の白井信三氏が自費出版した「戦争に捧げた青春 〜シベリアを生き抜いて〜」をホームページ化した、下記のサイトを紹介しておく。
http://www13.plala.or.jp/s_chiba/index.htm
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帰還せず(残留日本兵60年目の証言)・・・青沼陽一郎、新潮社、1,700円(★★★★)
昭和20年8月15日の日本の敗戦後も、自らの意志で日本への帰国を拒み、東南アジアの諸国にとどまった元日本軍兵士達がいた。
例えば、インドネシアでは約3000人もの元日本兵達が現地の独立義勇軍に参加し、その内1000人が独立運動の中で死亡したと言われている。(戦死した彼等は現地の国立英雄墓地に葬られている。)
彼等は20歳で敗戦を迎えたとしても、現在では80歳を越えている。
本書は、バブル経済の絶頂期に20歳を迎えた世代である著者が、今も東南アジア諸国に留まり続けている元日本兵(著者よれば、その数僅か14人)に対するインタービューを元にした本である。
本書に登場する元日本兵達が経験した戦争も、現地に留まった理由も様々である。
しかし彼等はいずれも、「戦争に負けたら帰ってくるな!」という言葉と供に戦場に送り出され、その言葉通り戦後も日本に帰らず現地に留まったのである。
多分、既に高齢になった彼等の多くにとって、インタービューに応じるのはこれが最後の機会であろう。
その意味で、本書は貴重な内容の本であるが、一人一人のその後の人生が飛び飛びに紹介されているために、一気に読んでしまわないと少し混乱する場合があるのが惜しまれる。
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逆説の日本史・・・井沢元彦、小学館文庫、657円(★★)
シリーズ全体で300万部を突破しているという著者の「逆説の日本史シリーズ」の第9巻で鉄砲伝来から信長の時代までを描いた巻である。
著者のこのシリーズは、一人の著者が日本史の通史を描くというので第1巻から読んでいるのだが、時代が下がるにつれ少しずつつまらなくなってきているように感じられる。
その理由は、資料が多くなるにつれ著者独自の見解というのもが少なくなり(元もと「言霊」や「怨霊」のように一見著者の独自の見解と思わせているものも、大抵は他人の考えを自分の考えのように見せていた部分も多かったが。)、逆にこれまでの自分の見解に縛られすぎて、自分の考えの正当性を証明するだけのために書かれているような感じもするのである。
また、著者が何度も批判を繰り返す「滑稽ともいうべき史料至上主義 」というのも、網野善彦以前の事ならいざ知らず、例として上げている学者の名前を見るだけで、彼が批判しているような歴史学というのは過去の事であるのも明らかである。
また、 毎度のことであるが、本来歴史の本であるはずなのに、強引に現代の政治に関する自身の考えを読まそうとする部分も目に付くのである。
要するに、この作家の底の浅さが少しずつ明らかになってきたと言うことであろう。
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反哲学史・・・木田 元、講談社学術文庫、900円(★★★)
奇妙な題名の本であるが、この本の執筆理由を著者は前書きの中でこう語っている。
「今世紀の哲学者達は、哲学を西洋という文化圏の特定の時代に成立した特殊な知の様式、そしていつの日にか乗り越えられなければならない、したがって乗り越えられる可能性のある知の様式と考えているのです。このような意味で、『哲学批判』・『哲学の解体を』を目指す現代の思想家達の基本的志向を、私は『反哲学』という概念で要約しようと思っているのですが、こうした『反哲学』の立場から振り返ってみれば、哲学の歴史も当然これまでとは違って見えてくるに違いありません。」
哲学を専門に研究している人々は別にして、哲学に多少興味を持っている程度の人間にとって、紀元前4・5世紀のソクラテス・プラトンから19世紀のマルクスやニーチェに至るまでの哲学の歴史を彩る数多くの哲学者達のそれぞれの思想の内容にいちいち立ち入ってみるのは不可能に近いであろう。
その中から自分が興味を持った何人かの哲学者を選び、その思想内容を出来るだけ理解しようとするのがせいぜいではないだろうか?
そういった人間にとって、自分が知っている哲学者の思想内容が、哲学史の中でどのような位置を占めているのかを知ることは必要な作業ではないだろうか?
その意味では、本書はコンパクトなサイズの中にも、それなりの内容が込められていて、「哲学」に多少の興味がある人にはお勧めの本である。
仏教VS.倫理・・・末木文美士、筑摩新書、740円(★★)
下の本と同じ著者の作品であり、仏教学や仏教学者としての著者の作品に触れてきたので、題名に惹かれて読んでみたのであるが、正直言って肩すかしを食わされたような感じがした本である。
前半の仏教の解説的な部分はまだしも、後半部分になると色々と問題提起はあるのだが、それに対しての著者の考えというものが明確に見えてこないのである。
元々は「寺門興隆」という寺院の住職向けの雑誌に連載されていた文章を一冊の本にしたものであるために、門外漢にとっては分からないだけなのかも知れないが・・・。
それにしても、この内容でこの題名というのも疑問である。
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思想としての仏教入門・・・末木文美士、トランスビュー、2,400円(★★★★)
仏教は宗教であるとともに、ひとつの哲学的な思想という側面がある。
また、今の日本で生きている仏教は紀元前にインドで誕生した仏教とは余りにかけ離れているし、東南アジアの上座部仏教やチベットの仏教とも、同じ宗教とは思えないほどの相違がある。
本書は、その仏教の思想としての側面に光を当て、インド・中国・日本の多岐にわたる仏教思想の全体像を分かりやすく説きながら、同時に仏教の現代的な意味をも考えようと試みた内容の本である。
本書の意図について著者は、
「本書は一面で、インドから日本にまで伝わる仏教の伝統を踏まえた、仏教思想の入門的な解説であるとともに、もう一面では、その伝統を今日の立場から見直す試みでもある。」
語っている。
又読者に対しては、
「読者に本当に求められるのは、単なる知識の暗記ではなく、読者自身が仏教の伝統をどのように受け止め、どのように批判的に自らのものとしていくことができるかということである。本書が読者によって批判され、乗り越えられていくことこそ、著者のもっとも望むところである。」
とも語っている。
仏教の初心者だけでなく、仏教に対して多少の知識がある人にも読んで欲しい本である。
(※ この本に興味を持たれた方には、同じ著者の日本仏教史(新潮文庫)もお勧めである。)
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一応の推定・・・広川 純、文藝春秋、1,429円(★★★)
本書は第13回「松本清張賞」受賞作であるが、書店で手にとって受賞者の略歴を見て読んでみる気になった作品である。
略歴には、
1946年8月生まれ。会社勤務経て「保険調査会社」に転職し、88年に独立する。
とあるので、長年のサラリーマン生活を経て、60歳を目前にしての作家デビューである。
これもひとつの「第2の人生」の姿と言うところであろうか?
作品の内容自体は、著者の本職の仕事である定年間際の保険調査員を主人公にした内容で、若手の作家の作品のような派手なストリー展開はなく、どちらかというと地味な内容であるが、人生経験豊かな年配の著者らしく、人間の感情や風景が丁寧に描かれており、二転三転するストリー展開とともに、充分読み応えのある小説である。
「定年後はゆっくりと小説でも書いてみたい。」
と言う夢を語る人間は多いが、著者はまさしくそれを実現した人物であると言えるのではないだろうか。
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プロ野球・燃焼の瞬間・・・澤宮 優、現代書館、2,000円
「蔵人」のお客さんであり、サラリーマン生活のかたわらノンフィクション作家としても活躍中の著者の最新作。
本書では、巨人軍の初代リリーフエースとして昭和40年前後に活躍した「八時半の男」こと宮田征典と、軟式野球出身で昭和20年代の終わりから30年代にかけて活躍した横手投げのエース大友 工、そして昭和30年代に強肩・強打の捕手として活躍し「巨人軍最高の捕手」とも呼ばれる藤尾 茂の現役時代の姿を描いたノンフィクションである。
3者に共通するのは、彼等はともに戦後の巨人軍で活躍したスター選手であったが、彼等が光り輝いた時期はいずれも5年にも満たず、短くも激しく燃焼しファンに強烈な印象を残し選手達であった事である。
執筆後記の中で著者は、
「私は売れる売れないにかかわらず、私が書きたいものを追い求め、じっくりと調べて形に残したい、ただそれだけの思いで執筆活動を続けています。・・・お金の心配をしないで自分のテーマを書きたいものを純粋に追求することができる。これは二足の草鞋の強みでもあります。」
と書いているが、若手作家が次々と新作・話題作を要求され、消耗品のごとく扱われる傾向がある現在、著者には今後もこの執筆姿勢を貫いて欲しいと願う次第である。
(※ 著者が「蔵人」のお客さんであるため、★印による作品の評価は控えさせて頂きます。)
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昭和陸軍の研究・・・保坂正康、朝日文庫、上下各1,200円(★★★★★)
昭和史の実証的研究の第一人者である著者のひとつの到達点とも言える作品の待望の文庫版である。
1999年の単行本発行当時から話題になった本で興味があったが、8,800円という値段から手が出せずにいたのであるが、今回の文庫化によってようやく読む事が出来た本である。
太平洋戦争の終戦に至るまでの昭和という時代は、「昭和陸軍」という組織がどのような組織であったのかという事を正確に知らなければ語れない時代であるが、本書は著者が数多くの資料と延べ500人余りの関係者に対する取材とに基いて書かれたものであり、著者にしか書き得ない内容の本である。
「自虐史観」という言葉が氾濫する昨今、「昭和史」に興味のある人だけではなく、出来るだけ多くの人に是非とも読んで欲しい本である。
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ゆりかごで眠れ・・・垣根涼介、中央公論社、1,800円(★★★)
2000年にサントリーミステリー大賞を授賞した「午前三時のルースター」でデビュー、2004年に「ワイルド・ソウル」で大藪春彦賞・吉川英治文学新人賞・日本推理作家協会賞の3賞を授賞した著者の最新の書下ろし長編小説。
麻薬マフィアが強大な力を有し、テロリズムが横行するコロンビアの現状は、元々が豊かすぎる国であり、それゆえの悲劇でもある。
そのコロンビアで日本人移民の子として生まれ、幼少時代に極右武装グループに襲われ両親を殺された少年リキは、コロンビアの多くのスラム育ちの子供達と同じく麻薬マフィアの一員となり、やがて組織のボスに登り詰める。
そしてリキはある目的を持って、自らが拾った浮浪児の少女カーサを連れて、自らの両親の出身地である日本を訪れる。
「ワイルド・ソウル」ほどの衝撃度と奥行きの深さはないものの、近頃流行りのチマチマしたミステリーよりはずっと楽しく読める作品である。
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Opローズダスト・・・福井晴敏、文藝春秋社、上・下各1,800円、(★★★★★)
1999年刊行の「亡国のイージス」や、2002年刊行の「終戦のローレライ」等の作品で知られる著者の最新作。
「2006年の秋、ネット財閥『アクトグループ』の役員を狙った連続テロが発生し、公安警察は北朝鮮工作員の犯行と断定し、『ローズダスト』と名乗る5人のテロリストを追い始める。 テロリストグループ『ローズダスト』の正体は、また彼等の真の目的とは?」
戦後の平和憲法の下、軍備に関しては「リベラルという一種の思考停止」に陥った国民を抱えながらも、米ソの冷戦時には「ソ連の脅威」を唱え、ソ連の崩壊による冷戦終結後は「北朝鮮の脅威」を声高に唱える政府の主導の下、イラク派兵や国民保護法をはじめとする有事法制関連法の整備により、ひたすら軍備拡大路線を突き進む日本という国。
本書は、優れたエンターティナメント小説であると同時に、そうしたこの国のあり方や、日頃は国家のあり方や軍備の問題よりも目先の個人的な利益や快楽を重視しながらも、ほんのちょっとしたきっかけによって、左右どちらにも振れてしまう国民の意識の問題をも鋭く突いている小説である。
「靖国参拝問題」や「拉致問題」により、国民の間で安易なナショナリズムが台頭しつつある今、この国の将来を考えるためにも、多くの人に是非読んで欲しい一冊である。
禅と唯識・・・竹村牧男、大法輪閣、2,200円(★★★)
仏教の唯識思想に関する著作も多い著者の最新刊。
「不立文字」・「教外別伝」を根本的な立場とし、言葉による教えよりも座禅による修業を重視する「禅」と、大乗仏教の中でも際立って精緻な論理による思想体系を伝える「唯識」。
本書の中で著者は、いわば両極端にあるふたつの仏教思想を比較検討する事により、両者の表面的な立場の違いを越えて、
「禅と唯識は瑜伽行(ゆがぎょう)として根本的にひとつ。」
であり、両者の者の表面的な立場の違いは、
「体験的の直截的な表現(禅)と、その論理的か体系化(唯識)との違い。」
であり、両者は「相補的」なものである事との認識に立ち、その事を明らかにしようと試みている。
元をたどれば「大乗仏教」の教えに辿り着く両者が、「同じ事を伝えようとしている。」というのは当たり前の事のようであるが、両者は元もと「己事究明」という共通の考えを基本としているので、その両者の教えに共通のものを見るのは可能かも知れないが、日本独特の仏教、例えば、「阿弥陀如来による他力本願の救済」を教えの中心に据えている「浄土教系」の宗派や、日蓮の強烈な個性による独特の教えを中心に据える日蓮宗等と、それが可能であるのかどうか?
機会があれば、その辺の問題も著者に論じて欲しいところである。
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逆説の日本史8 中世混沌編・・・井沢元彦、小学館文庫、657円(★★★)
週刊ポスト連載の「逆説の日本史」の第8巻。
「日本通史を書こう!」
と言う著者の意欲と持続力に敬意を表して、このシリーズは第1巻から読んでいるが、この巻は足利義政の無責任さが招いた応仁の乱と室町文化及び一揆に関しての巻である。
著者は、
「日本の歴史は怨霊の歴史である。」
との視点からこの通史のシリーズを書いるので、読んでいてそれなりに面白いのだが、「怨霊思想」自体が彼のオリジナルの視点でない上に、シリーズの中では、他人の考えをさも自分が考え出したように書いている部分や、推測をあたかも歴史的な事実であるように書いている箇所等があり、このシリーズはあくまで「日本通史」と言うより、
「井沢元彦という人物から見た日本通史」或いは「日本通史とい形の読み物」
であるとの認識の下に読んだ方が無難である。
また、このシリーズ全体を通して、過去の歴史を語りながら、現代の日本の諸問題に関する著者の考えを述べている箇所も多いが(その殆どは賛同出来ない考えであるが)、元々が「週刊誌の連載」という面では仕方がとはいえ、その辺もこのシリーズが正確な意味で「日本通史」となり得ていない理由のひとつである。
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唯識のすすめ・・・岡野守也、NHK出版、1,120円(★★★)
唯識に関する著者の著作は、これまでもこのページで何冊か取り上げたが、本書は著者がNHKラジオで行った講義を「NHKライブラリー」の一冊として出版されたものである。
初心者向けの講演であるために、唯識に関する知識がなくても分かりやすく、唯識入門書としても読みやすい本である。
また、「サングラハ教育・心理研究所」の主幹を勤め「トランスパーソナル心理学」関係の著作も多い著者の本らしく、最後の2章では、フロイト、ユング、アドラー等の西洋心理学やマズロー、ウィルバー等のトランスパーソナル心理学の考えを紹介するとともに、それらの心理学と唯識の習合(融合)を試みている。
しかし、老婆心を承知で書いておくと、唯識とそれら西洋心理学との習合の部分に関しては、この本における著者の考えを鵜呑みにするよりも、それなりに唯識に関する知識を蓄えてから、改めて読んでみた方が良いと思われる。
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昭和史 戦後編・・・半藤一利、平凡社、平凡社、1,800円(★★)
2004年2月に刊行された著者の「昭和史」の続編で、本書も「昭和史」と同様、著者が行った講義の内容を本にしたものである。
前の本は、昭和史のうちの終戦までが対象であったが、本書では、終戦以降の我が国の歴史が扱われている。
「ノモンハンの夏」 ・「昭和史」等、昭和史の書き手として評価していた著者の最新作であるだけに、期待して読んだのだが、ただダラダラと脱線を交えて語った話を本にしたと言うだけの内容で、
「せめて書籍として刊行するのなら、もう少しやりようがあるだろう!」
と思わざるを得ない内容である。
その理由は、多分著者自身の年齢から来る一種の衰えと、1930年生まれの著者自身が、自分が生きた同時代の歴史を客観視して語る事の難しさから来るものであろう。
また、「昭和史」の評判の良さに、「それなら続編も売れるだろう。」、と言う姿勢だけで、このような本を安易に出版する出版社の姿勢も問題であるようなに思われる。
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栄光なき凱旋・・・真保裕一、小学館、上下各1900円(★★★)
第2次世界大戦に従軍した日系のアメリカ軍青年兵士達の姿を描いた上下2巻1200ページ余りの長編小説。
両親を強制収容所に残した西海岸出身の若者や、スパイ容疑で父をアメリカ当局に逮捕されたハワイ出身の若者達が、それぞれの境遇を背負い、それぞれの思いを胸にアメリカ軍の兵士として戦場に旅立って行った。
ドイツ軍との戦いのためにヨーロッパ戦線に送られた若者達や、語学兵として両親の母国である日本との戦いの為に太平洋戦線に送られた若者達は、戦いの日々の中で「何を見、何を考えたのか?」
過酷な戦場は、彼等の内面を容赦なくあぶり出していく。教育基本法の改正によって、学校教育の中で「愛国心」が教えられる事になった昨今、本書は「祖国とは何か?」、「個人にとって国家とはいかなる存在であるのか?」と言う事を考えてみるきっかけになる力作である。
巻末の「主要参考文献」を見るまでもなく、40代の著者がこのような内容の小説を書くのに多大な資料を読みあさったであろうことは想像に難くない。
しかし、ストリー展開的には充分面白いのだが、
「せっかくこれだけ長い小説を書いたのだから、それぞれの登場人物達の内面にもう一歩踏み込んで欲しかった。」
と思う部分が多いのが惜しまれる。
クオリア降臨・・・茂木健一郎、文藝春秋、1619円(★★★)
これまで、脳科学者である著者の著作は何冊か紹介してきたが、その著者が「クオリア」(質感)をキーワードに、夏目漱石、小林秀雄、三島由紀夫、ワーグナー、ピカソ等の作品から受ける「芸術の感動」を解明しようとしたのが本書である。
著者は本書で、文学に関して、
「統計的な真理しか問題にしない現代科学からこぼれ落ちる広大な領域。個の生の主観的体験に寄り添う時に見えてくるもの。それこそが文学に固有の領域である。」
「文学は、あくまで個の体験の特殊性に寄り添い、世界の全体を引き受ける普遍学としての可能性を志向する。」
と述べ、批評に関しては、
「あらゆる芸術ジャンルにおける傑作を特徴づけるのは、その作品を体験することの中に潜むクオリアのピュアさせあり、強度であり、熱であり、深さである。人間が生きるということの核への関わりである。」
「だからこそ、よほどの覚悟を持って臨まなければ、分析や解体をその生業とする批評家は、実作者に対して負け続ける運命にある。才能や志において負けるのではない。クオリアのピュアさにおいて負けるのである。」
と述べているが、その彼の姿勢が彼の小林秀雄に対する評価にも繋がっているのだろう。
本書においては、前半部分では切れの良さを見せていた著者の論理が、後半部分になると弱くなっていく印象を受けた。
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謎の豪族 蘇我氏・・・水谷千秋、文春新書、700円(★★★)
「謎の大王 継体天皇」(文春新書)の著者の最新作で、馬子・蝦夷・入鹿の3代にわたり、天皇家(この当時は大王家)をも凌ぐ権力を握りながら、乙巳の変(大化の改新)によって滅び去った蘇我本宗家に関する著書である。
かつては「逆賊」と言われた蘇我氏に関しては、近年次第にその功績が評価されるようになってきているが、この書の中でも著者は、
「従来の『王権あっての蘇我氏』、「王権と結びつくことによって蘇我氏が台頭した」、と言う視点とは逆の、「蘇我氏あっての王権」、「蘇我氏と結びつくことによって王権が力を回復していった。」
と言う側面を重視しているが、歴史学者としては仕方がないことであるが、文献資料である藤原不比等が編纂した「日本書紀」に頼っている限り、
「何故、臣下である蘇我氏の邸宅が、大王家の王宮を見おろす『甘樫岡』の上にあったのか?」
と言う疑問は解けないであろう。
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日本国王抹殺・・・黒須紀一郎、作品社、1,800円(★★★)
「覇王不比等」・「婆娑羅太平記」など、このページでも何冊かその著書を取り上げた著者の、久し振りの新作である。
室町幕府三代将軍義満を主人公に、文観、後醍醐、足利尊氏、佐々木道誉など「婆娑羅太平記」の主要な登場人物が歴史の舞台を降りた後の時代を描いた小説で、いわば「婆娑羅太平記」の後日談的な内容の小説であるが、主人公の義満に対抗する人物が登場してこず、これまで著者の作品を読んできた人間には、少々物足りない気がする内容である。
同じ時代小説の作家でも、「隆 慶一郎」の方はそれなりに知る人も増えてきているが、その「隆 慶一郎」に勝るとも劣らない歴史小説の書き手である著者の知名度の低さには、著者の作品のファンとしては残念な思いがする。
この作家に興味を持たれた方や歴史小説の好きな方には、是非「役小角」→「覇王不比等」→「婆娑羅太平記」という流れで、著者の作品を読んで欲しいと思う。
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遠い日の戦争・・・吉村 昭、新潮文庫、438円(★★★)
下の本を読んだのをきっかけに、同じ油山事件をテーマにしたこの小説を再読してみた。
この小説の主人公は、下の本の主人公と同じく、油山事件でB29のパイロットの首を切り落とした青年将校である。
この小説の中でも、終戦から日が経つにつれ、「東京裁判」における戦犯に対する判決が軽くなっていくことが述べられている。
そこ結果、初期の裁判では、
「不慮を平手で叩いただけで多くの者たちが絞首刑を宣告され執行を受けた。」
が、その後のアメリカのアジア情勢の変化とともに、アメリカの対日政策に大きな変化が現れ、その結果、最後の軍事裁判とも言える油山事件の加害者である主人公は死刑を免れるのである。
死刑を免れた主人公は、
「戦争犯罪裁判について改めて考えることが多くなり、戦争裁判に、その基礎となるべき法律というものが存在せず、裁くもの達の気まぐれな意志によって判決が下されたことを示している。」
と思い、
自らが死刑を免れたことを幸いに思いつつも、
「戦争犯罪人に対する裁判は、裁判とは無縁の私刑に近いものであることを感じる。」
のである。
また、東京裁判の法廷では、かつては自分の部下達に「玉砕すること」を命じたり、「特攻隊」という形で若い青年達の命を平気で奪っておきながら、自分達は命惜しさに必死で責任逃れをしようとする旧軍隊の指導者達の姿も描かれている。
いつの時代にも、自分達は安全な場所に身を置きながら、口で勇ましいことを叫ぶ輩はいるものである。
ゆめゆめ、そのような連中の口車に乗らないように注意したいものでる。
逃亡(「油山事件」戦犯告白録)・・・小林弘忠、毎日新聞社、1,800円(★★★)
太平洋戦争の終戦間際の昭和20年8月10日、福岡市郊外の山中で、日本兵によるアメリカ人捕虜惨殺が行われた。
これは、上官の命令により、自ら刀を振り上げ捕虜の首を切り落とした男の手記を元に、その男の3年半に渡る逃亡生活を描いたノンフィクションである。
鬼畜米英の教えの下に育ち、
「上官の命令を承ることは実は直に朕が命を承る義なりと心得よ。」
「命令は謹んでこれを守り、実行すべし。その当、不当を論じ、その原因、理由等を質問することを許さず。」
との軍人勅諭を日々暗唱させられ、
「上官の命令に背けば、抗命罪で、敵前の場合は死刑又は無期もしくは10年以上の禁固、軍中ならば1年以上10年以下の禁固」
と言う状況の中で、事件当時23歳の見習士官であった彼に、上官の命令を拒否することが可能であったのか?
戦犯として捕らえられた後、かろうじて死刑を免れた彼は、やがて20歳になった自分の息子に自らの手記を託す事になるが、彼も又下の小説の主人公と同じく、重い過去を背負いながら戦後を生き続けたのであろう。
遮断・・・古処誠二、新潮社、1,400円(★★★★)
このページでも何度か作品を取り上げた事がある、著者の最新作である。
著者は太平洋戦争末期の時代を描いた作品が何冊かあるが、この作品も同じく太平洋戦争末期の沖縄を舞台にした作品である。
逃亡兵となった19歳の沖縄の青年は、あるきっかけから防空壕に置き去りにされ、生きているはずのない赤ん坊を捜すために、戦火の中を既にアメリカ軍の制圧下にある故郷の村へと向かう。
「戦争が続く限り未来が犠牲にされる。」
作中で登場人物の一人が漏らしたこのひと言が、すべてを言い表している。
犠牲にされた未来を、重い過去を背負った青年は生き続ける。
一人主人公のこの青年だけではない。
数多くの沖縄の人々が、それぞれの重い過去を背負って戦後を生き続けたのである。
そう言った、戦争の生き証人達がどんどん少なくなって来て、憲法改正が声高に叫ばれる時代にあって、30代半ばの著者が、こう言った作品を書き続ける事はとても大きな事であると思う。
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プロセス・アイ・・・茂木健一郎、徳間書店、1,800円(★★★★)
このページでもその著作を取り上げたことがあるが、本書は気鋭の脳科学者として各界からの注目を浴びている著者が初めて書いた小説である。
題名の「プロセス・アイ」というのは、「クオリア」・「志向性」とともに著者が心脳問題を論ずる時のキーワードとも言うべき言葉である。
本書はストーリー自体がいささか現実離れしているし(文章的にも決して上手いとは言い難い部分もあるが)、本書のように、
「なぜ、私の心は、この脳というぐにゃぐにゃの豆腐の塊のような物質に宿ったのか?」
「ニューロンの細胞膜を挟んだ電磁場が変化する時、どのようにしてそれが私の心の変化になるのか?」
「脳の中の物質の変化と、私の心の変化がどのように関係しているのか?」
等々という「心脳問題」や、この上なく精妙な因果的法則に働く脳のニューロン活動と、因果律の法則から自由になっった心の状態としての「解脱」との関係性等をテーマとして小説を書く場合、SF小説的な意味とは違った意味で、ある程度のストーリー設定の自由度というものがなければ描きえないようにも思える次第である。
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ホーキング、宇宙のすべてを語る・・・スティーヴン・ホーキング、レナード・ロムディナウ
ランダムハウス講談社、1,800円(★★★)
「ホーキング、宇宙を語る」、「ホーキング、未来を語る」に続く著者の「語る」シリーズの第3弾。
世界的な大ベストセラーとなった「ホーキング、宇宙を語る」の出版から15年以上の歳月が流れたが、本書は「超ひも理論」や「ブレーン宇宙論」等の最新の研究の成果を取り入れながらも、より簡潔に分かりやすく書かれている。
この種の本が書かれそれが多くの人々に読まれるのは、著者が本書の中で述べているように、現代科学の世界が、
「ニュートンが生きている時代においては、教育を受けた人には少なくとも大筋では人間の知識の全体像がを把握することが可能であったが、それ以来科学の進歩ペースは余りにも速く、それが不可能になり、理論は新しい観測を説明するために絶えず改訂されるので、普通の人々が理解することができるように適切に要約、簡素化されることがなく、理解出来るのは専門家だけであり」
また、その専門家にしても、
「科学の理論のほんの僅かな割合だけ、自分の狭い専門について正確に把握したいと望むのが関の山」
の状態であり、しかも、
「ほんの数人の人だけが、知識が急速に前進しているフロンティアについていくことができるが、そのためにはまず、自分の専門を狭い分野に限定した上で、自分の時間のすべてをささげて専念しなければならない」
という状況にあるからであり、
研究者以外の人々には、「自分の時間のすべてをささげて専心する」事は不可能であり、尚かつ普通の人間にとっての主要な関心事は、「狭い専門分野での最新の理論」ではなく、「宇宙はどのようなものであるか。」や「我々が宇宙においてどのような存在であるのか。」といったより広範な問題であるからであろう。本書は「人間原理」の問題にも触れているので、そういう人々にとっては適切な本である。
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あの戦争から何を学ぶのか・・・保坂正康、講談社文庫、629円(★★★★)
在野の昭和史研究の第一人者である著者の著作は、このページでもこれまで何度か取り上げたが、この本はその著者の最新刊で著者がこれまで様々な月刊誌に発表した原稿を一冊にまとめたものである。
従ってそれぞれの章は独立した内容としても読めるが、その中でも第4章「自ら『責任』を問えなかった東京裁判」の内容が興味深い。
その章で著者は、
「東京裁判の史観は功罪は功罪を含めて戦後日本の言語空間を支配した。それは現在も続いていて、日本国民が自前の太平洋戦争史観をもちえなかったことが、教科書論争といった折にふれ噴出する。」
「『東京裁判史観』なるものはいわば日米合作によるものだった。現在に至るもこの史観の呪縛を克服出来ない最大の原因はそこにあるのではないか。その内省から出発しなければ、東京裁判の史観を越える史観は永遠にもちえないのではないか。」
と指摘しているが、教科書論争だけでなく小泉首相の靖国参拝等の問題も含めて、確かにそうであろう。
ただ、自前の太平洋戦争史観を持つためには、まずあの戦争自体の事をより正確に、より深く知らねばならない。
そうでないと、自前の史観というものはえてして手前勝手な独りよがりになものになり勝ちである。
それは何も我が国固有の問題ではなく、中国・韓国を初めとするアジア諸国においても同様である。
本書の裏表紙にある、「凡人は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」
とあるがけだし名言である。
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仏教は本当に意味があるのか・・・竹村牧男、大東出版社、2,300円(★★★★)
タイトルからするとよくある仏教の入門書のようであるが、このページでも何冊か紹介している著者の本だけあってそうではない。
例えば本文中に使われている仏教用語に関して著者は初心者向けの仏教書のように一々丁寧に解説していないし、引用文献の内容も一々現代語訳を付けたりはしていない。
従って仏教に関するある程度の基礎知識がないと読み進めるのがきついかも知れない本であるが、「仏教が現代社会において何をなし得るのかを真摯に問いかけた内容の本」であるので、多少でも仏教に興味を持っている人間にとっては面白い内容の本である。
著者は後書きの中で、
「本書の執筆に際してのもう一つの観点は、仏教を現実の社会へどう結びつけていくのか、ということであった。」
「たとえ仏教が深遠な思想を有していたとしても、現実世界になんの用もなしえないとしたら、その意味はほとんどないといってよいであろう。」
と書いているが,本書の中でも、
「無我や空は、ただそれだけではもはや十分にその機能を発揮しえないかもしれない時代なのである。」
「このように否定の一面だけ一面だけ取り上げても余り有意義とは思えないのである。」
「仏教が、実体論批判や関係主義的世界観を説いているからといって、あたかも現代思想を先取りしているからといって、それだけでは、真の時代の力とはなりえない。まただからといって免罪符になるわけでもない。」
と言い切った上で、
「一切他者の利益をめざして今後生きよう、と覚悟することが菩提発心ということである、この事なしに大乗仏教はありえないであろう。」
と述べ、
「即今・此処におけるそのような主体の成立を説かないような仏教は、思想として時代の力とはなりえないと思われるのである。」
と書いている。