四半世紀の御詫び
蔵人25周年おめでとうございます。
思えば、高校時代からの悪友CS氏に連れて行かれて初めてお伺いした店は、今の店舗ではない以前の店で、正確なところそれが1976年であったか、77年だったかはよくは憶えておりません。
ただ、いまでも、機関銃の様に早口の大阪弁を操るマスターと、喋ると江戸っ子ママの美和子さんの強烈な印象は憶えているのですが、あれから四半世紀も経っているとは、感無量です。
爾来、これまでの人生の約半分がオーバーラップしており、一人よがりですが人生に蔵人が融合しているといった感じです。
そして、現在、安らぎをおぼえるのは、物理的にはお互に齢を重ねましたが、いまでもその時と変わらず同じ場所に同じ雰囲気で蔵人がある事です。
クロードが誕生した、1976年は生来の野生児の小生がスーツとネクタイを無理矢理着込んで、一応のオフィイスワーカーに初めてなった年でした。
昼間会社ではストレスが溜り、夜蔵人にお邪魔し、本能のままに行動する小生は本当にマスターと美和子さんに御迷惑のかけっぱなしでした。
それでも優しいお二人は、怒りながらも小生を受入れてくれてくれました。
本当にありがとうございました。
いまではりっぱな不良オジサンになりました。
当時は、中野鍋屋横丁の一日中陽の当たらない6畳一間のアパートに居り、夜は蔵人でCS氏他、友人と飲み、大きな声で議論をし、往々にして下ネタ話となりよくマスターに怒られたものでした。
怒らても一向にへこたれる事なく飲み続け、もしくはカウンターでそのまま居眠り、店を一歩でると、終電車もとっくに無くなり、気がつくと財布はカラッポ、新宿から鍋横まで歩いて帰りました。
翌朝は必ず会社に遅刻するか、欠勤して、今度は会社で怒られておりました。
あとから聞くと、会社では問題になっており、よくクビにならなかったものと思っております。
今では新宿西口は摩天楼が立ち並ぶ東京のマンハッタンみたいなところですが、20数年前はまだ高層ビルといったら数えるほどで、大きな広場がありました。
そこでモンテカルロサーカスの大興業があり、当時所属していた会社は小生をそこのサーカスに売り飛ばしました(もっとも、不良社員の処遇としては我ながら納得できますが)。
数週間、近くのホテルに泊まり込みとなり、動物や多国籍サーカス芸人と寝食を共にし、はたまたそのサーカスの裏方連中を蔵人に連れて行き大騒ぎをし、御迷惑をかけました。
同時期に、偶然に湯島の焼き鳥と釜飯の店で夜のヘルパーを頼まれ、昼間は会社員、夜は釜飯を作っておりました。
店が終わると、小生が作った五目釜飯をおみやげに持っていき、美和子さんにそれを炒めてもらい炒釜飯にして、それがマスターをはじめ皆さんになかなか好評でした。
その後、職を変え旅行業に就職し、時差で朦朧とした状態でお邪魔して酔っ払い、もうその時は鍋横にアパートは無く、終電に乗り遅れ、店のベンチで寝かせてもらい夜が明けて白々とした時に、烏の朝食を横目にみて始発電車に乗ったものでした。
また、店だけではなくよくマスターと美和子さんの家までお邪魔して、午後遅くまで寝かせて戴いた事もありました。
更に、若い時は長時間睡眠が可能で、歌舞伎町のサウナに泊まって24時間以上寝てしまい、会社から蔵人に捜索の手が伸びてやっと起きた事もありました。
その後マスターから歌舞伎町のサウナはホモの巣と聞いた時には、酔って前後不覚に陥ってしまったものの、それを聞いた時には身の毛がよだちました。
はたまた、それでも懲りずに泥酔し歌舞伎町のキャッチバー地域に入り込み、複数の客引きに殴られ、唇を切り、救急車で無理矢理大久保病院に連れていかれ、眠そうな当番医に無麻酔で面倒くさそうに縫合された事件もありました。
もっとも酔っ払っていたので、痛みも憶えてないのですが、全て完了し少し酔いが覚めてきて痛みを感じる様になると、自分が何処の病院に居るのかも解らず、とりあえず、蔵人に電話して、お二人に来てもらい身元引受人になって戴きました。
御迷惑をお掛けして本当に申し訳けありませんでした。
しかしながら、失敗談ばかりではなく、休日にはコンサート、観劇、ダンスレッスン、旅行等々の数々のイベントにも参加しました。
スタジオ蔵人および外部劇場での勅使川原氏パフォーマンスの裏方のお手伝い、英国の友人と一緒にマスターに京都を案内してもらい、奈良の御両親の家にお世話になった事、正月にマスターの御両親も含め蔵人御一行様で伊豆の温泉に行った事等々、楽しい思い出が多々あります。
緊急事態の場合には、店の手伝いもしました。
多くのお客さんはマスター、美和子さん、そしてヘルパーの女性とそれぞれに会話を楽しんでおられると思います。しかし、ヘルパーの女性が急に休み、補充が不可能な時には急遽ピンチヒッターとしてカウンターのむこうに立った事もありました。
その時に折角ヘルパーの女性と会話を楽しもうと思って来られた方には無骨な男が居て、申し訳け無い事を致しました。まあもう時効ですので運が悪かったと思って諦めて下さい。
マスターが業界視察欧州旅行に出かけた時も、確か臨時マスター代理をやった記憶もあります。 大晦日の大掃除も、その後の除夜の鐘を聞きながらの忘年会、そしてたった十数段しかない階段の12時間に及ぶ大修理の思い出も暫く忘れていたのですが、またまた鮮明に蘇ってきました。
そうこうしているうちに、再度転職し、テキサスのヒューストン駐在となり、出発時には蔵人主催で送別会も盛大にやって戴きました。
駐在中は適齢期になったのか、結婚したい症候群に罹り、全米はもとより約半年毎に日本に帰りお見合いをしておりました。
しかしなかなか成功せず、もっとも日本滞在期間は最大で一週間程度で、その間一回や二回会っただけで決まる訳もありません。
その時も生来の鈍感さからか、ワイルドウエストのテキサスには可憐な大和撫子はいませんでしたので、外交辞令とも気付かず優しい言葉を掛けてくれた蔵人のヘルパーの方に魅せられて、テキサスから執拗に電話して、御迷惑をかけ、マスターにまたまた怒られました。
誠に申し訳けございませんでした。
その後、帰国し、おかげさまで結婚でき、マスターと美和子さんにも結婚式に出て戴ききました。
最近は、五十路ももう目前の歳となり、昔の様にそう頻繁に蔵人にお伺いする事も難しくなってきましたが、久しぶりに行っても昔と変わらない蔵人にホット安らぎをおぼえ、時空を超えて感覚が蘇ってきます。
荒れ狂う大海のなかの穏やかな寄港地として、スムースジャズが心地よく流れ、時の流れが止まった、大都会のなかの止り木としてこれからも潤いのある場所を提供し続けて下さい。
あと数年もすればリストラの運命が待ち受けているでしょうから、その時には野生児、いや野生爺に戻り、といっても都会のなかの野生爺ではなく、自然のなかで、本能の赴くままの生活に戻ろうと思っています。
大自然の懐に棲家を移しても、度々都会に出てきて必ずお邪魔致しますので、そのままの蔵人でいて下さい。
その時の邂逅を今から楽しみにしております。橋本広之 (49歳 会社員)