開店の頃

1976年2月某日、東京での短い会社勤めを辞め大阪に戻っていた僕は、東京に住んでいる美和子さんから、「飲み屋をやろうと思っているのだが、手伝ってくれないか。」という電話を受け取った。

数日後、当時失業中の身で特にやることも無かった僕は、「とりあえずやってみるか」という軽い気持ちで友人の運転する車に身の回りのものを積み込んで東京に向かった。

美和子さんが探してくれていた大久保のアパートに荷物を下ろした僕は、その足で新宿の歌舞伎町にある店を見に行った。

今の蔵人の一本コマ劇場寄りの通りの雑居ビルの地下にあったその店は、5坪ほどの広さのコンクリートの打ちっぱなしの空間で、店というよりむしろ倉庫か物置のようだった。

翌日から早速美和子さんの指揮の下、店の開店準備が始まった。

東京に居た頃に、美和子さんと一緒に行った事のある新宿三丁目界隈やゴールデン街の店を参考に店の内装を考えたり、合羽橋に必要な什器類を買いに行ったり、開店の案内状を作ったりと、失業時代と打って変わって忙しい日々が続いた。

開店予定日が近づくにつれて、6畳と台所だけという僕の部屋に、いつの間にか美和子さんの荷物が増えていき、気がつくと彼女もその部屋に移り住んでいた。

開店当初のお客は、僕と美和子さんの学生時代や会社勤めの頃の友人やその知り合いが中心で、10人ちょっとも入ればすし詰め状態になるという狭い店内は、店というよりむしろ友達の部屋の集まって皆で飲んでいるという雰囲気だった。

当時店に置いてあったウイスキーはホワイト、角、オールドのみで、ボトル料金はそれぞれ、3,000円、4,000円、5,000円であったが、お客の大半はホワイトを飲んでいた。

ちなみに席料は1人300円であった。
(つまりボトルがあれば1人300円で飲めたのである。)

お客のほとんどが20代前半から半ば過ぎくらいまでの独身者であった為、午前2時の閉店時間まで残るお客も多く、週末などにはよく皆で閉店後に別の店に飲みに行ったり、その頃朝まで営業していたディスコに出かけたりしていた。(たまには六本木や原宿まで足を伸ばしたりもした。)

また、そのまま僕達の部屋に泊まるお客や知り合いも多く、最初の1年で延べ100人以上の人間を泊めた。

そんな状態であったので、僕達にはいわゆる新婚生活と呼べるものは存在しなかったに等しいが、今にして思えばそれも楽しい思い出である。

つづく         

店主(トシ丸)