「モンゴル/私のゲル・ステイへの旅」
*「お久し振りの蔵人へ 」
蔵人への訪問は、もう1年半振りとなってしまった。
7月17日にモンゴルからの帰りの便が成田へ着き、その足で久し振りに寄ってみたのだ。
この日の1番目のお客としてカウンターに座ると、お酒も飲んでないのになんだか頭がクルクルしてきた。
アレレ・・・どうも緊張の糸がビンッと切れたためらしい。
自分でも気付かなかったが、それほどまでにモンゴルでは緊張の日々だったんだなあ、と初めて実感した。
なんでかというと・・・。
* 「待ち人来らず!夜のウランバートル空港」
ちょうどこの時期のモンゴルは短い夏の季節を迎え、夏の祭典ナーダムは毎年7月11日の革命記念日に開かれている。
果てしなく広がる大草原の中で行われるモンゴル相撲や競馬などの観戦に、多くの旅行客が訪れる賑やかな季節でもある。
モンゴルへの旅というと、なんとなくマニアックな旅のイメージがあったが、機内は意外にも女性同士の旅行者の姿が目立っている。
ゴビ砂漠の上を通過したあたりから、なんとなく目の前の全てがモンゴル色に染まっていくような気がする。
「大丈夫、空港に着いたら迎えの人が待っていてくれるんだから」。
団体旅行客が目に入ると、なんとも所在ない自分をついつい意識してしまう。
この時期日本との時差は無く、7月12日21時16分にウランバートル空港着。
このドアを出れば私を迎えてくれる人が、私のネームプレートをもっている人がいるはず
・・・だったのにー!?
迎えが来ていない!!
何かの間違いかも、と淡い期待も空しく2時間待っても誰も来てくれない。
時間も時間だし、明日・あさっては土・日曜日で旅行社に連絡がとれないことを考えると、私は何が何でもその場を離れられないと思った。
しかし、こんな所でうなだれた日本人の姿を いつまでもさらしているわけにもいかないし。
初日にしていきなり全ての予定がキャンセルされ、同時に新たな旅の始まりをこの時私は余儀なくされたのである。
「なんでこうなっちゃったのかなあ・・・」。
* 「なぜ私が「モンゴル」だったのか?」
年に何回か訪れるほど知床が好きで、休みの日となると一人で水族館に行ってしまう私は、どちらかというと水、海に引かれるところがある。
それだけに、なんだか口の中がジャリジャリしそうなモンゴルという国に憧れたことは、今まで全くと言っていいほど無かった。
でもそういえばTV「北条時宗」の中のモンゴル語が不思議と耳ざわりよく聞こえたことがあったっけ。
ではなぜ今回一人でこの地を訪れることになったのか?
ソンナコンナのモンゴル旅はこの春、 写真家A氏の個展に足を向けたことから始まった。
アラスカ・モンゴルの写真を撮り続けているA氏。
彼はエリート・サラリーマン現役時代の頃、休暇を利用して訪れたモンゴル遊牧民の生活に、それまでの考えを一変してしまうほどの衝撃を受けた。
そして休暇明けには退職願を出し、モンゴルに関わる仕事を始めてしまったという人である。
初めて彼と出会ったその日、知り合いのモンゴル遊牧民のところへのゲル・ステイの旅を近々友人達と共に決行する、という話を耳にした。
彼のこれまでの経緯を聞いていた私は、彼がこれ程までに魅了されてしまったモンゴルという国を一度この目で見てみたい、とその時強烈に思ってしまったのである。
自分の知らない世界へ通じる不思議な扉を見つけると、いてもたってもいられずにその扉を開け、コワゴワながらも足を踏み入れてしまうところが私にはある。
* 「もともとリスクのある旅だった」
初対面にもかかわらず、私の旅の同行は快く受け入れられた。
知らない人達との、10年振りの海外旅行だけれども、一人じゃないんだから大丈夫・・・と思っ
ていた。
ところが、出発10日前になって私以外の人達がみんなキャンセルしていたことを突如聞かされてしまった。
しかも肝心のA氏もこの頃にはモンゴルの奥地に入っていて同行できないらしい。
どうも私一人がその遊牧民のゲルにおじゃまをし、その家族と数日を過ごすみたいなのである。
まるで「ウルルン○○○」のような話だ。
「それでも貴方は行きますか?」
こんな時、たいがい私はGOサインを出してしまう。
怖がりのくせに・・・。せっかく休暇も取ったし、空港からゲルまでの送り迎えは現地の旅行社が行ってくれるとのことだし、なにより今ここで断わってしまうことの方が私には選択し難かったのである。
なんでかなあ。
旅の始まりからしてこんな調子だったから、待ち人来らずの空港では「ついにこの時がきた!」とばかりに一気に血が騒いだ。
夢が正夢になってしまった、という感じにも似ているか?
* 「異国の地での”地獄に仏”様」
とにもかくにも、今晩どこか身を寄せるところを見つけなければならない。
そんな時、まいっちゃったなあ顔の私を見かねてか、親切な空港のお姉さんが声をかけてくれ、ある安宿を紹介してくれた。
そこは日本人夫婦が営んでいるゲストハウス。
何かあった時の駆け込み寺として私もリストアップしていたところだった。
ちょうど帰り支度をしていた「地獄に仏」様のそのお姉さんと共に、彼女の友人の白タクに乗ってゲストハウスに向かうことになった。
とはいえ、異国の地でのタクシー移動は、やっぱりこの旅一番の緊張を強いられる場面である。
が、なんとか無事に到着。
玄関先で出迎えてくれたご夫婦を、第2の「地獄に仏」様として私は一生感謝し続けるのだろう。
ユースホステルのようなここは1泊5ドルのドミトリータイプ。
この夜も日本人バックパッカー達で賑わっており、今夜一晩だけは唯一空いている男性部屋に身を寄せなければならなかった。
日本でもユースに泊まったことの無い私が今、異国の地で遭遇しているこの現実。
しかも男性に囲まれて夜を明かすことになろうとは。
もしかして私の男運が全てこの夜に集約されてしまうのだろうか・・・?
そんなことをウツラウツラ考えていると、隣のベッドのおじさんがホロ酔い気分で戻ってきた。
彼、この3番目の「地獄に仏」様のN氏は日本で動物病院を営み、ナーダムには馬の獣医として関わっていた人である。
彼は当然ながら私の姿を見て驚き、同情し、そして自分の仲間と一緒に1泊2日のゲル・ステイをしないか、と私を誘ってきた。
長年日本とモンゴルを行き来し、そんな中で知り合った遊牧民のゲルに私を連れて行ってくれるというのだ。
観光地とは違い、特別な人と一緒でなければ行けそうにないところである。
これは願ってもない話。
こんな出会いを見逃す私ではない。
こうして手段こそ違えど、当初の目的が再び実現に向かって急発進したのである。
* 「大草原の小さなゲル」
モンゴルでは車のことを「マシーン」と言う。
そのマシーンで2時間半、ウランバートル市内から100km離れた村へ向かう。
街中の道は舗装されているとはいえ、大きな陥没が至る所にある。
村への道となると当然舗装されてはおらず、さらに激しい陥没ロードが続く。
砂煙舞う車窓から、緑の草原の上に白い小さな花を咲かせたように、ポツリポツリとゲルが見えてきた。
そして放牧された牛や馬を見ていると、いよいよ「あのモンゴル」にやってきたんだなあ、という実感が湧いてくる。
大きな陥没を避けようとマシーンは左右に大きく揺れたり、穴にはまって上下に大きく弾んだり、途中休憩も無く走りづめに走り続ける。
そんな調子だから、やっと目的地に着いた時には天地をゆるがすような大きなめまいに襲われ、あいさつもそこそこに早速ゲルの中の客人の場所で横になってしまった。
初めて足を踏み入れるゲルの中。
それは、ただただ広大な草原に、たった一つだけでたたずんでいた。
観光客が訪れるようなツーリストゲルではない。
外は日差しが痛いくらいに強いのだが、日陰に入るととても涼しい。
犬たちもゲルが作る小さな日陰に寄り添いながら昼寝をしている。
ゲルの中には、遥か彼方から草原の上を渡ってやってきた乾いた風が吹き込んでくる。
こんな風に吹かれていると、自分もこの大自然の一部になったようでものすごく気持ちがイイ。
少し落ち着いた頃、子供の多さに気がついた。夏の間、子供たちはいろんな家庭にステイし、そこで他人の釜の飯を食べながら家の手伝いをし、世間を学ぶ、という習慣があるらしい。
実に皆よく働き、大人の言うことを素直に聞く。
たとえ反抗したってこんな場所じゃあ独り耽るような所はないようだ。
まずは馬乳酒(馬の乳を発酵させたお酒)、スーティー茶(乳と茶を混ぜたもの)でもてなされる。
このゲルで初めて口に入れるモンゴルの味。
時々馬か犬の毛が浮いてたりするけど、そんなこと気にしちゃあいけない。
そんなことよりも、この料理を目のあたりにしている実感のほうが重要にちがいない。
いつのまにか目の前に食事が出されている。
ゆでた骨付きの羊肉はナイフで削ぎながら食べ、骨に一片の肉も残さないくらい最後まできれいに食べている。
焼いた石で調理した羊肉は塩辛く味付けされ、赤黒い肉汁と共に食べる。
うどん、ワンタンの様なものも羊肉と一緒に煮たり炒めたり。
味付けはほとんど塩のみで、食べる人の側にはいつも醤油(のようなもの)やケチャップの瓶が用意してある。
どれもおもてなし料理で、家の大人たちは仕事の手を休め、私たちと一緒になって食べた。
こんな経験初めての私は「凄いことになってるなあ」と静かに興奮し、私と同じ顔をしている家族の姿を見つめながら黙々と食べていた。
この時期のモンゴルは夜の10:30まで明るい。
「日が沈む前に馬に乗ろう」
N氏はみんなを乗馬に誘った。
乗馬なんてしたことがない 私は、コワゴワながらも大事な馬を借りてその背にまたがる。ここの子供達は皆、馬を意のままに乗りこなし、「こうやって乗るんだよおー」というような得意顔で私に笑いかけてくる。
はじめは手綱を引っぱってもらい、いよいよ馬が歩き出した。
遠くの山々に日が沈む頃には独りで乗れるようになり、みんなで小高い丘の上から沈む夕日を
眺めていた。
やっぱり言葉で言い尽くせないほどの美しい風景。
でもただ一人残念ながらこのときの私は感慨に耽っている場合ではなかったのだ。
「内モモが痛いよお。早く馬から降りたいよおー!!」。
でもそんな中、ゲルのそばの丘の上に腰を下ろし、遠くの山々をじっと見つめている初老の女性に気付いた。
どうもここの家族とは寝食を別にし、ゲルのそばの小さなテントでひっそり暮らしているようである。
身振り手振り会話帳を使いながら話をしてみると、彼女自身は若かりし頃に旧ソ連で医師として働いており、大きくなった自分の子供たちは市内で働いているため、今は夫婦二人で暮らしているようである。
その女性は今ではもう働いていないようだし、ゲルではなくとても小さなテントで暮らしている。
ゲルの大家族とはなんとなく雰囲気が違うようだけど、どういう関係でここにいるのだろうか?
どうやって生計を立てているのだろうか?
この時彼女は遠くの山々の風景にいったい何を見ていたのだろうか?
内出血で腫れた内モモを気遣いながら、トイレに行こうと(トイレなんか無いけど)寝袋に入る前に外へ出てみた。
雲一つない夜空には、プラネタリウムで見たような莫大な星々が輝いている。
話には聞いていたが、実際にこの目で見ているとその予想以上の星空に思わず声が出てしまった。
「すげーーーっ!!」
* 「私の見ている”この世界”」
ゲルにはたった2日間しかおらず、ほんのほんの極わずかしか触れてはいないけれど、そんな中でもいろんな光景を見た。
パパを中心に家族が成り立ち、大人も子供もそれぞれ課された家族の仕事を毎日こなしている。
一つの居場所を拠点に人間と家畜と自然とが共に暮らしている。
子供は人なつっこく、気が付くとよその人が羊の放牧の途中でこのゲルに立ち寄り、しずかに茶を飲んでいる。
こんな厳しい自然の中で暮らしているから、皆もちつもたれつ、弱い人はなるべく近くで世話をしてあげようとする。
早くに父を亡くし、親戚つきあいもあまり無く、表面上は愛想よくまわりと接してはいるがホントのところは心開かず、独りでいるのが好きなくせに度が過ぎると孤独に苦しむこともある
・・・そんな私にとってゲルの家族は不思議で温かい光景だった。
はたして私は写真家A氏の世界に少しでも近づけたのだろうか?
ひょんな思いつきで始まった旅。
その思いつきから今日までの「全ての出来事」が不思議で優しく感じられる。
どれも突然私の前に現われたモノ。
でも私はそんな不思議さがたまらなく好きで、また次の探しモノをしているのかもしれない。
蔵人からの帰り道、疲れた体を引きずりながら、そんな自分を実感していた。
2,002年8月22日 By Aloha.